1954年ゴジラ Photo by GettyImages

佐々木俊尚が分析、原爆の象徴『ゴジラ』シリーズが伝える「戦後」

戦後映画史(2)1954年

2020年8月15日には75回目の終戦記念日を迎える。戦争を知る人たちが少なくなって
いくからこそ、私たちは戦争のことを語り継ぐ必要がある。ジャーナリストの佐々木俊尚さんが映画を通して「戦後」を考える「戦後映画史」。

8月6日、広島に原爆が落とされた本日は、1950年代の『ゴジラ』と『きけ、わだつみの声』にクローズアップ、映画から伝わる「戦争」「戦後」をひもとく。

 

映画やドラマには時代の感覚が封じ込められる

映画やドラマには、制作された時代の感覚がつねに封じめられている。2016年の日本人は『シン・ゴジラ』を観て、だれもがすぐに福島第一原発事故を思い出した。しかし100年先の未来の日本人が『シン・ゴジラ』を観て、大昔の原発事故に思い至るだろうか? 同時代の感覚は強烈に人々にインパクトを与えるが、時間が経つとその時代感覚は薄れていく。作品は後世に残り続けても、その作品をめぐる人々の思いや感覚まではなかなか伝わらないのだ。

だから私たちはそういう視点で、過去の映画を振り返る必要がある。

1954年ゴジラ Photo by GettyImages

1954年の映画『ゴジラ』。監督本多猪四郎と特撮技術の円谷英二が組んだこの作品は、水爆をモチーフにしているのは明らかだ。クランクインの少し前には、米軍の水爆実験で漁船第五福竜丸が多量の放射性降下物を浴びる事件があった。ゴジラは水爆実験によって安住の地を追われたのだと映画の中で語られ、本多も水爆実験反対の意味があったとメディアで何度となく語っている。

しかし『ゴジラ』の企画は、第五福竜丸事件の以前から進められていた。作品の描写は、水爆実験よりも太平洋戦争の影の方が色濃く出ている。なにしろまだ終戦から9年しか経っていない。

たとえばこんなシーンがある。「政府 ゴジラ対策に本腰」という新聞記事に、通勤中の会社員たちがうんざりした表情で話す。「もう、いやなこったあ……。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた、大切な身体なんだもん」「そろそろ疎開先でも探すかな」「ああ、また疎開かあ。いやだなあ」

そして上陸してきたゴジラが、東京を蹂躙していく。破壊され燃え上がる建築物や橋梁、鉄道。逃げ遅れた母親は、幼い子供二人を抱きしめ、ビルのたもとに座りこんでいる。彼女はエプロン姿のままだ。そしてこう幼子につぶやくのだ。

「お父様のそばに行くのよ。もうすぐ、お父様のところに行くの」。父親は、戦争で亡くなったことがほのめかされている。

病院には多数の負傷者が運び込まれ、怪我を負った子どもたちが線量計で放射線検査を受けている。女子高校生たちは焼け跡の青空の下、鎮魂の歌を合唱する。これらのシーンは広島と長崎、さらには各地の空襲による戦災のイメージにダイレクトにつながっている。ゴジラは怪獣映画であったのと同時に、当時の人々には戦災を思い出させる作品でもあったのだ。