19人を殺害する前に植松聖は「宇宙から来た」と言った…一体なぜか

相模原障害者殺傷事件が僕たちに突きつけたもの【第6回】
森 達也 プロフィール

鑑定が判決に影響をもたらさない現実

「相模原事件の判決文の印象だけど」と(ノンフィクション作家の)吉岡忍は言った。「やっぱり宮崎勤の判決文と共通している。つまり論理や事実を積み上げることがないままに、異常性はないと結論が飛躍する。宮崎はネズミ人間が現れて女の子の手首や足首を切ったと言ったけれど、殺害した事実そのものは否定していない。だから二次鑑定のひとつは多重人格を主張している」

「その場合は責任能力がないという結論になるのですか」

「これは鑑定書だからね。多重人格であるとは書いても、責任能力については書いていない。……まあそれは当然だと思うけれど」

そこまで言ってから吉岡は数秒だけ考える。

「これは憶測だけど、精神科医たちはうんざりしているんじゃないかな。だって彼らは、鑑定で何を主張したとしても、それが判決に影響しないことを知っている。そんな気がする。仮に責任能力がないと鑑定で断定しても、判決は最初から決まっている。鑑定が判決に影響をもたらしたという経験を誰も持っていない。自分たちがいかに軽く扱われているかを、彼らは知っている。だから杜撰で投げやりな鑑定になってしまう気持ちも、分からないではない」

「でも仮にそうだとしても、精神科医としての葛藤や自責はないのかな」

「もちろんあるよ。だから積極的には引き受けたくない。結果として、全部とは言わないけれど、いわゆる御用学者、つまり裁判所の持ってゆきたい方向に鑑定を合わせてしまう医師や学者が多くなるんじゃないかな」

そこまで言ってから吐息をつく吉岡に、「実際の宮崎は見ていますよね」と僕は訊いた。「法廷にはずっと通ったよ」と吉岡は答える。「何度も見ている」

「どんな感じですか」

「空っぽだよ。そこいるけれどいない」

「麻原の法廷で僕も同じことを感じた。でもならば不思議です。宮崎勤や麻原彰晃の精神状態について、精神科医はともかく、他のメディアはなぜ、いくら何でもこれは、という視点を持たなかったのかな」

 

僕のこの質問に対して吉岡は数秒だけ考えてから、「ぎっくり腰をやってしまったんだ」と言った。

「はい?」

「ぎっくり腰。今も実はひいひい言っている。どうすればいいと思う?」

「静養しかないです。自宅待機。コロナもあるしちょうどいいんじゃない」と言ってから僕は、「今の話は何か関係があるの?」と訊いた。早稲田大学在学中に「ベ平連」に参加して米軍脱走兵の逃亡支援活動に従事した吉岡は、僕にとって先輩であるだけでなく、数年前からはペンクラブの会長だ。つまり年上であるだけではなく業界の重鎮。でもこうして時おりため口になってしまう要因は僕の側ではなく、吉岡の側にある。とにかく徹底して先輩風を吹かさないし偉ぶらない。これは僕だけではなく、吉岡を知る人ならだれもがそう言うと思う。ZOOMの画面の中で吉岡はにっこりと笑う。

「ごめん。関係ない。なんだっけ。メディアの視点か。ずっと思っていることがある。宮崎が事件を起こしたあの時代がちょうど境い目だったのかな。報道が加害者よりも被害者への取材にどんどん傾いていった」

そう言ってから吉岡は、「二十年以上も前に書いた本(『M/世界の、憂鬱な先端』)だから、細かいことは忘れていたけれど、森さんと話しながらいろいろ思いだしてきたよ」と言った。