植松死刑囚が私に語った「自分は〈役に立つ人間〉ではありませんでした」の意味

相模原事件から4年が経った
中原 一歩 プロフィール

昨年9月、私が関わっている困窮者支援の現場で、こんな事件が発生しました。

「戦後最強」と恐れられた台風19号が、東京都心を直撃した時のことです。

「いのちを守る最大限の努力」が呼びかけられる中、東京のある区でホームレス状態の人が避難所に身を寄せようとしたところ、避難所を管理する行政から拒否されたのです。担当者は「区民しか入れない」と説明したと言いますが、後日、インバウンドの外国人や旅行者は避難を許されていたことが判明しました。

「ひとりのいのちは地球より重い」は、もはや昔ばなしなのです。

 

終わらない宿題

――2020年3月、植松容疑者の死刑判決が確定し、彼は死刑囚となりました。しかし、この判決では解決しない問題が残ると奥田さんはおしゃっています。そして、それは私たち「同時代人」に課せられた「宿題」ではないか、と。

もし、今、植松君と会えたとしたら、あなたは彼に何を言うでしょうか?

「19人もの人を虐殺し、26人を傷つけたのだ。しかも、理不尽な理由で。そんなお前に生きる資格はない。殺されて当然だ」

そう言いたい人は少なくないと思います。それはもしかすると「普通の感情」かも知れない。また、被害者や家族がそう思うのはなおさら当然かも知れない。

けれども、「生きる意味はないから死ね」と私たちが彼に言うならば、それは植松君がやったことと同じことを、私たちが彼にすることになります。

この「宿題」の答えは容易ではありません。

「いのちが大事」は、言わずもがなの当たり前です。しかし、この当たり前のことを、当たり前の前提として生きること。あるいは、いのちという当たり前を社会の基盤、普遍的価値として体現することは自明のことではありません。「いのちを大事にする」ということは、この容易ならざる問いの中で呻吟し続けることなのだと私は思います。

私は、私自身に問い続け、時に決断し、その決断を懐疑する。この「終わらない宿題」を抱え続けることが相模原事件後を生きる者の務めなのかも知れない。そうでなければ第二の事件、第三の事件はきっと起こりえると私は思っています。

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