植松死刑囚が私に語った「自分は〈役に立つ人間〉ではありませんでした」の意味

相模原事件から4年が経った
中原 一歩 プロフィール

当時18歳だった私は同世代の犯行に愕然としました。しかし、それ以上に衝撃を受けたのはその動機でした。

「横浜の地下街が汚いのは浮浪者がいるせいだ。俺たちは始末し町の美化運動に協力してやったんだ。清掃してやったんだ。乞食なんて生きてたって汚いだけでしょうがないでしょ。乞食が減って喜んでるくせに」

彼らもまた「確信犯」だったのです。彼らは、ホームレス襲撃を「町の美化運動」と呼び「喜ばれる(良い)こと」だと考えました。

「ホームレスは町のゴミ」とう意識は、現在も蔓延しており、各地でホームレス排除や支援施設の建築への住民反対運動などが続いています。住民は「町の安心と安全守る」という「良いこと」を掲げて排除を続けているのです。

〔PHOTO〕Gettyimages
 

「意味のないいのち」という時代のことば

――いのちに「意味のあるいのち」と「意味のないいのち」などない。いのちそのものに意味があるのだ。この普遍的価値についてゆるぎなく言い切ることが現代においては何よりも大切だ、と奥田さんはおしゃっています。

「自分は生きる意味がある人間か」という圧力は、同時代を生きるすべての人々が感じています。先に触れた横浜の中学生たちが加害者であることは間違いありませんが、彼らもまたこの圧力にさらされているのです。

中学生にとって「意味の証明」とは何でしょうか。その第一は「良い成績を取ること」だとしたら、それが叶わない中学生はどうするのか。他のことでそれを証明するしかない。さもなくば「意味のないいのち」の烙印が押されてしまう。中学生らは「町のゴミを始末する」ことで「存在意義」を証明したのだと私は思っています。

これは全く間違った結論ですが、同時代を生きる私にはその背景が透けて見えるのです。

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