植松死刑囚が私に語った「自分は〈役に立つ人間〉ではありませんでした」の意味

相模原事件から4年が経った
中原 一歩 プロフィール

26歳無職、生活保護受給。事件直前の植松君の現実は、彼自身の基準からすると極めて「意味のない側」に近かったと思います。「あまり役に立たない」と自己評価せざるを得ない青年は、事件を起こすことで「役に立つ側へ移行できる」と考えました。衆議院議長宛ての手紙の中で、彼はまるで殺害の報酬金のように「金銭的支援5億円」を要求しています。事件は、彼にとって生活保護からの「自立」を意味していたのかも知れません。

「役に立つか」「生産性はあるか」「意味があるか」。多かれ少なかれこのプレッシャーの中ですべての人が生きています。私も、あなたも。だからといって植松君の責任を曖昧にしたいわけではありません。ただ、彼を「異常で特別な人」と切り捨ててしまえば、私たちも単なる「傍観者」になれる。けれども、それでは問題の本質を見誤るとことにならないかと思うのです。

支援活動を行う奥田さん〔PHOTO〕「抱樸」提供
 

良いことだと確信して罪を犯した

――奥田さんは、この残忍な事件そのもの重大さもさることながら、犯人である植松死刑囚が、実は「確信犯」であったことに注目すべきだと語っておられます。

「悪いことだと承知で罪を犯す人」を「確信犯」と呼ぶことがありますが、本当の意味は違います。「確信犯」とは「悪いことでないと確信して罪を犯すこと」であり、つまり「良いことをしていると確信して罪を犯す」のが確信犯です。とするならば、彼は何を確信していたのか。

「障害者は不幸しか生み出さない」
「障害者は生きる意味のないいのち」

彼は障害者殺害を「日本と世界の経済のためにやった」と事件直後から言い切っていました。

事件の詳細が明らかになるにつれ、私は一つの事件を思い出していました。1983年、横浜の中学生らがホームレスの男性を殺害した「横浜『浮浪者』殺人事件」です。当時、ホームレスという言葉はありませんでした。

編集部からのお知らせ!

関連記事