〔PHOTO〕Gettyimages

日本のコロナ対策が“首尾一貫しない”本当の理由〜「実体語と空体語」の呪い

ポストコロナを予見した山本七平

なぜ政府の対応は「二枚舌」になるのか

欧米諸国に比して軽微な被害にもかかわらず、コロナ以後の日本社会はいよいよ混沌としてきました。7月下旬の4連休に間に合わせるべく、同月22日から国の観光業支援策である「GoToトラベル」がスタート。しかし一方では連日公表される感染者数の増加から自粛が呼びかけられ、そのGoToも利用者の要である東京都が適用対象外になるなど、ちぐはぐな対応に不満の声が上がっています。

 

「アクセル(旅行の促進)とブレーキ(在宅の呼びかけ)を同時に踏むようだ」とする批判を、いまやメディアやSNSで目にしない日はありません。しかしそうした矛盾が、安倍晋三首相や小池百合子都知事といった「眼前の政治家」の未熟さに起因するのではなく、日本史上では「ほとんど常にそうだった」伝統をなぞっているのだとしたら、どうでしょうか。――ちょうど半世紀前の時点で、すでにそうした問いを深めた思想家がいたことを、いま懐かしく思い出します。

「ユダヤ教徒を装って日本人との比較文化論を綴る」という、ややスキャンダラスな著作『日本人とユダヤ人』 で評論家の山本七平がデビューしたのは、1970年(実際には、山本は無教会派のプロテスタント)。当時は「イザヤ・ベンダサン」なるペンネームを使っていましたが、筆名での第二作となる1972年の『日本教について』では、「実体語と空体語」という独自の概念を用いて日本人の思考様式を考察しました。

近年、山本の著書の復刊や解説書の刊行が増えている

先日刊行した私と斎藤環さんの共著『心を病んだらいけないの』 でも触れたように、同書は現在品切れながら(ただし山本は往時のベストセラー作家なので、図書館等での閲覧は容易です)、いまも日本社会を把握する上で有効な手がかりを提示しています。とくに第二章にあたる「実体語と空体語のバランス」は、あたかもポストコロナの混乱を予見したかのような知見に満ちています。