# 音楽 # キャリア

「45歳、経験ゼロ」から音楽プロデューサーに…異能の「経営者」の挑戦

「唯一無二の商品づくり」でキャリアを築く
黒川 なお プロフィール

「音楽だけはやめろ」と言われても諦めきれなかった

そんなLIMの仕掛け人は、作曲家で音楽プロデューサーの多田泰教さん。現在62歳で、音楽プロデューサーになったのは45歳と遅咲きだ。かなりユニークな経歴の持ち主で、フリーター、政治家秘書、ビルメンテナンス会社の社長を経て、周りから猛反対されながら音楽家になった。

こう書くと、かなりアクと主張の強い人物を想像するかもしれない。けれども実際の多田さんは、意外なほど物腰柔らかだ。情熱は感じるが、いたって落ち着いた雰囲気のジェントルマンである。

多田泰教さん
 

会社経営は、必ず成果が数字に表れます。芸術みたいに曖昧じゃない。答えがはっきりしています。そこが面白くてずっと続けてきました」

しかも、多田さんが手掛けていた会社は業績好調だったという。では、なぜ突然、面白い上に儲かっていた社長業を引退してまで、音楽家の道を目指したのだろう。

「45歳になったとき、ふと疑問がわきました。『おれ、金儲けをするために生きてきたわけじゃないよな』と。今思えば、更年期障害だったのでしょう。ホルモンバランスのせいか、人生の残り時間が見えてきたとき、このままでいいのか不安になって人生を見つめ直したんです。

いわゆる人生の棚卸しをしたとき、今自分が持っている引き出しでは勝負できない、世の中についていけないと感じました。それでとにかく何か勉強して、もう一度『仕入れ』をし直さなきゃと考えるようになりました

多田さんは、最初から音楽の道を選んだわけではない。興味のあることは何でもやってみて、少しずつ自分にしっくりくる方向性を掴んでいった。

「イタリアンシェフになろうとしたり、最初は手当たり次第いろいろとやってみました。ものになるかどうかは、途中で何となくわかるんです。音楽の勉強もふと思い立って始めたので、ものになるのか最初はわかりませんでした。

でも他と違って、いろいろなことを犠牲にしてやっても、不思議と苦にはならなかった。勉強するほど楽しくてのめり込みました」

音楽がものになる」という感覚や予感は、いつしか多田さんの中で芽生え、徐々に大きくなっていった。だが、本人の考えとは裏腹に、周りの反応は冷ややかだった

「40歳を過ぎて音楽家を目指すというと、頭がおかしくなったと世間から思われます。私の出身は和歌山県の田辺市ですが、特に田舎はそうです。あの人、大丈夫だろうか…と眉をひそめる感覚がより強い。芸術って、やっぱりそういうものだと思います。人を不安にさせるんです。それで家族や友人からは、音楽だけはやめろと猛反対されました」

たしかに、堅気の仕事をする自分の親やパートナーがある日突然、「これから音楽家になる」と宣言したらどうだろう。最初は冗談だと思ってあしらうものの、本気だとわかったら、きっと心中穏やかではいられない。

けれども、多田さんはあきらめずに音楽の勉強を続けた。その様子を見かねて、奥さんが一言。「絶対バレたらあかんで!」とくぎを刺したという。