「みなさんを誇りに思います」
フィリピンを訪問した天皇陛下(現在の上皇さま)から、「フィリピン残留日系人」たちがかけられた言葉だ。2016年1月28日、90人ほどの年老いた日系人らが陛下の宿泊先のマニラのホテルに集まり、陛下と面会を果たした。陛下と会い、言葉を交わし、涙した日系人は多い。
「フィリピン残留日系人」とは、戦争の混乱で日本人の父親と離別した日本人2世たち。戦後のフィリピンで、激しい反日感情による差別の中を生き抜いた。陛下との面会実現で一時は注目が集まったものの、その話題は一過性に終わってしまったように思う。彼らの存在は今の日本社会でほとんど知られていない。
私自身、「フィリピン残留日系人」の存在を数年前まで知らなかった。知ったのは、司法取材を担当していた2013年のころ。ある法務省関係者との雑談で「家庭裁判所で変わった案件がある」と聞いたのがきっかけだった。
フィリピン在住の何人もの日系人が父親の身元調査の結果を元に、日本人としての戸籍を作る「就籍」を家庭裁判所に申し立てているという。いったいなんのためなのか。私が取材を始めたのはその翌年からだ。
戦前、貧しい農村の男たちが職を求めて日本からフィリピンに渡った。フィリピンに出稼ぎに出た日本人移民の数は約3万人といわれている。農地開拓や道路建設などに従事し、フィリピン人と結婚し、家庭を持つ者もいた。
移民はフィリピンで豊かな日本人社会を築いていたが、太平洋戦争が始まると状況が一変した。現地で日本軍に協力したり、徴兵されたりした結果、敵国民として現地住民から追われ、家族が離散。戦争に巻き込まれ、多くの移民が亡くなった。
生き延びても日本に強制送還され、フィリピンには妻と子どもが残された。この子どもたちが「フィリピン残留日系人」だ。