コロナで大逆境の「木下サーカス」、一人もクビにせず「奇跡の復活」へ…!

世界のサーカスが潰れるなかで…
山岡 淳一郎

「舞台の上からでなくてもワクワクする気もちを届けられます。カラフルなマスクをつけて、楽しい会話が生まれたらうれしい」と千葉さんは新聞の取材にコメントした。

5月下旬には、演技助監督で鉄球籠オートバイ疾走の花形演者、高原謙慈さんらが食料品400点をフードバンクに贈った。公演が中止となり、販売する予定だったペットボトル飲料やチョコレート、せんべいなど、賞味期限が1か月以上残る菓子類を届ける。贈られた食品は金沢市内の子ども食堂や社会福祉協議会に配布された。

金沢市民も団員の志に反応する。北陸朝日放送は「おうちで大サーカス」と題し、夕方の情報番組で4回にわたって演技のハイライトシーンを流した。たまたま筆者の古い友人でもある能田剛志・北陸朝日放送社長は、木下サーカスの姿勢についてこう述べる。

「滞在期間は2〜3か月なのに地域と共生しようという思いをひしひしと感じた。びっくりしたよ。休演で大ダメージを受けているのに他人をいたわってくれる。あれは真似できません。何年か後、ぜひ、また金沢ですばらしいショーをお見せいただきたい」

 

創業者の遺伝子

木下サーカスの逆境でのふるまいは、昨日今日、身につけたものではない。拙著『木下サーカス四代記』に詳述したが、旗揚げは1902年。初代座長の木下唯助氏がロシアの租借地だったダルニー(のち大連)で軽業一座を起こしたのが始まりとされる。唯助氏は、関東大震災の直後、靖国神社にテントを張って被災者救援を行った。二代目の木下光三氏は、戦後、東南アジア諸国を巡業し、孤児院や福祉施設に寄付をして地域に溶けこんだ。

そうした遺伝子が現社長の木下氏にも受け継がれている。