自粛する日本人が、強欲の必要性を説いたマンデヴィルに学ぶべきこと

自己中、マンデヴィル、必要悪②
甲田 太郎 プロフィール

「あるべき」ではなく「あるがまま」を見つめることの重要性を彼は説いています

その上で、国がどのように豊かになり、それを維持していくか、そのために政治家は何をすべきかを考えていたのです。

蜂が死なないためには?(photo by iStock)

こういった視点で見れば、マンデヴィルの考察には有用な部分が多いことが分かるでしょう。国民の自己中な本性を知った上で、政治家は彼らの様々な情念をうまく誘導して統治すべきだ、というのがマンデヴィルの考えなのです。

ですから、マンデヴィル自身は、国民にあれをしろ、これをしろとは言っていません。ただ、政治家が「自己中な国民」を前提とすべきというマンデヴィルの主張は直視しなければいけません。

そして、政治家がそう動くためには、現代日本の、一般国民が政府に変な思いやりを持って遠慮した発言をしてしまう風潮を変える必要があるのです

前回私が書いた、「日本のみなさんは自己中さが不足しています」という話に対する反論も見られました。

確かに、利己心の塊のような人によるトラブルも日々報じられています。しかし、なぜか政府に対する自己主張の時だけは、随分といい人になってしまう、国民の立場をなぜか離れてしまう人が大勢いるのが日本の特徴だと私は考えています。

政府に感情移入したり、自分の利害ではなく社会全体の利害みたいなことを一生懸命考えたりする役割は、国民には求められていません。

学者や一部の風変わりな人ならともかく、今の日本のように多くの国民がいつも政府の懐事情を慮り、「あれがほしい」「これをやってくれ」と言う際に妙な現実感覚が要求されるのは、健全ではありませんし、政府を甘やかすだけなのです。

 

シンプルな欲望の表明

自分一人だけの利害を叫ぶコメントが、日本ではほとんど見られません。

政府に感情移入したり、社会全体の幸福をじっくり考えたりしたコメントは、確かに上品で慎ましいかも知れませんし、それだけ真面目に勉強している国民が多いということでもあるでしょうが、そのような個人的危機感のないコメントを政府の方が読んでも、あまり大きな効果はないと思います。

私はこれがほしい。こうしてほしい。そんなシンプルな欲望の表明こそが、今の日本には必要なのです。日本のみなさんは、まやかしの道徳教化は基本的に完了しているのではないでしょうか(笑)。

自分がコメントをしている時、このコメントが広まり、政府にそのコメントを見てもらえた時に、自分個人に何の得があるのか。そんな人間という動物として当たり前のことを考えて頂きたいのです。

さて、前回の私の主張に比べると、今回私が紹介したマンデヴィルの示唆は、皮肉に富んでいるだけでなく、両立の難しい矛盾をはらんだものに見えるかも知れません。

国民をまやかしの道徳でだませるなら、政治家による調整は要らないのではないか。逆に、政治家が国民を管理できるなら、国民に道徳を教えても仕方ないのではないか。

ゼロか百かの思考で考えてしまうと、これは確かに矛盾でしょう。しかし、そんな両極端な国民も政治家も、現実の世界にはいないのではないでしょうか。

完璧な善人も悪人も、めったに見かけるものではありません。だからこそ、マンデヴィルの思想は我々に大きな示唆を与えてくれるのです。

3世紀分の開きがある、大きなタイムラグの中でマンデヴィルの思想の真髄を極めるのは研究者の仕事と言えますが、彼の思想から我々一般国民が示唆を得ることはできますね。

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