マンガ『BEASTARS』を多文化主義から読み解く

「正しさ」を食い破る野生の思考
※編集部注:本記事には『BEASTARS』の物語の展開や核心にふれる記述があります。同作の魅力をより深く味わいたい方には、ぜひコミック本編と本記事をあわせてお読みいただくことをお薦めします。

「加害者」の立場から考える

『BEASTARS』は、2016年から『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて連載されているマンガである。作者は板垣巴留ぱる。2018年のマンガ大賞をはじめ数々の受賞歴をもち、19年にはNetflixでアニメ化されている。

 

わたしたちは現在、多文化主義(multiculturalism)の時代に生きている。いまや程度の差こそあれ、あらゆるフィクション作品が多文化主義に配慮して作られていると言ってよい。『BEASTARS』もまた、その例外ではない。

しかし『BEASTARS』はこの多文化主義に、きわめて特異な角度からアプローチしている。本稿では、あえてこのマンガを多文化主義という陳腐な切り口で読みながら、そこからの批評的な距離を測定してみたい。が、まずは予備知識を概説する必要がある。

多文化主義とは、世の中には多種多様な人びとがいるのだから、「われわれ」と異なるアイデンティティをもつ「かれら」を差別してはいけない、つまり他者を尊重せよ、という考えである。そのとき他者とは、じゅうぶんに尊重されていないマイノリティである場合が多い。

ひとまず尊重に成功するとき、それは「政治的に正しい」と表現される。これは英語のポリティカル・コレクトネスの訳語で、ポリコレ、PCなどと略すこともある。この場合、尊重の対義語は、差別ということになる。当たり前だと思うかもしれないが、これが「常識化」したのは歴史的にみて最近のことだ。

さて、『BEASTARS』の根底にあるのは、この多文化主義の諸問題を、動物の擬人化をつうじて捉えるというアイディアである。国籍や人種や宗教などのかわりに、イヌとかウサギとかトカゲといったの生物学的な差異をデフォルメして、動物バージョンの多文化主義を描くわけだ。

だが、多文化主義の価値観を前提してはいるものの、この作品は「他者を尊重しましょう」といった生ぬるい一般論を唱えるわけではない。その最大の関心は、肉食獣の強さと草食獣の弱さ、その絶対的な不平等にあるのだ。しかもそれを、大型・肉食・オスという最強の主人公から描くところに、このマンガの面白さはある。

あきらかに多文化主義は相対化されている

本稿では生まれながらの加害者を主人公に据えた『BEASTARS』を読むことで、多文化主義の「常識化」が見えにくくしている問題にスポットライトを当ててみたい。多文化主義の批判をつうじて、このマンガは、これからの寛容さについて思考するための道筋を照らしだしてくれるだろう。