「生産性」と「役に立つ生」に憑かれた、私たちのグロテスクな社会について

生産性に抗するラディカルな生
木澤 佐登志 プロフィール

当たり前だが、人間には「使命」などない。そのような言葉に惑わされてはならない。その言葉は人間を特定の方向に駆り立て、コントロールしようとする。使命、それはあなたを束縛する負債である。

同様に、人間には「生産性」もない。あるのは「生」だけだ。

歴史上のどこで「生きるに値する生」と「生きるに値しない生」の分割が始まったのだろうか。一つの生に分割線が、たしかにそのとき引かれたのだ。

 

欺瞞的な未来

生産性に抗するラディカルな生。そのようなものがもし存在するとすれば…?

いかなる生産性と再生産の制度にも抗う、それだけで完結した単一の生。

クィア評論家のリー・エーデルマンは、系譜原理を再生産するためのシステムに抗ってこう言う。「未来はここで終わる」。

少なくとも、軽度の知的障害者が必死に働いて得た収入が、たかだが十数万円という現状、そしてそれを「努力の賜物」とか言って美化する国営放送局。これが、彼らのヴィジョンにおける、「地域で働く障害者」と「差別のない社会」の理想的なあり方、と言うことになるのなら、そんな欺瞞的な未来など今すぐここで終わらせてもいいのかもしれない。

日本国憲法第25条には生存権が明記されている。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。しかしこの特集で映された、グループホームに「収容」されている障害者たちは、場代として彼らに障害年金や生活保護を徴収され、代わりに低賃金労働に駆り出される(それが彼らにとっての使命なのだ)。彼らはアガンベンの言う、いわば〈法〉の外に投げ出されている、「剥き出しの生」を生きている……。

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