「キムタクである」ことへの努力

一見、何でも余裕で軽々とやっているように見えて、実は、彼は人一倍真面目な「努力の人」なのだと思う。

「キムタク」の名とともに、「抱かれたい男ナンバー1」や「視聴率男」、「ベストジーニスト殿堂入り」などなど、日本のトップ・オブ・イケメンの称号と責任を背負って以来、キムタクは「キムタクである」ために懸命に努力し、闘い続けてきたのではないだろうか。

2009年釜山国際映画祭にて、フランス映画『アイ・カム・ウィズ・レイン』で共演したジョッシュ・ハートネット、イ・ビョンホンと並ぶキムタク Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images

キムタクの俳優としてのポテンシャルが、世にいう「何をやってもキムタク」だとは思わない。

前述した映画、山田洋次監督の『武士の一分』(2006年)では、いつものキムタク味を消して、妻を寝取られる朴訥な武士役に成りきっていたし、ジブリアニメ『ハウルの動く城』(2004年)のハウルの声は、いっさい予備知識なく観れば、すぐにはキムタクだと気づかないかもしれない。

「木村拓哉」は、その気になれば「キムタク」以外の人間になることができるのだ。

 
だが、長い間彼は、制作側や視聴者の求める「キムタク」というキャラクターを、その責任感とプロ意識の高さゆえに、律義に演じ続けてきたのだと思う
 
「キムタク」と呼ばれるようになって25年以上、常にトップであること、「カッコイイ男」であることを要求されて生きるのは、どれほどのプレッシャーだったろうか。