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理想の補佐役? なぜ「石田三成」という男が評価されたのか

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マンガやドラマ、ゲームの世界で、これほど幅広い解釈で描かれてきた戦国武将は他にいない。ときに「忠義に殉じた敗戦の将」として、ときに「憎まれ役の参謀」として。それでも、今も昔も石田三成を評価する者は多い。

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経営者に多い隠れ三成ファン

経営者の中には存外、隠れ石田三成ファンが少なくない。

一見、首を傾げる向きがあるかもしれない。生まれつき、目から鼻に抜けるような秀才というのは、頭脳の反射がよく、とりわけ理数系の才能に恵まれていることが多いが、その半面、可愛気がなく、人望の薄いのが、その致命傷ともいわれてきた。

そうした秀才型の中で、凛とした、ある種の不思議な緊張感をもって、見事、史上に残る大事業を成し遂げた稀な人物が、秀吉の補佐役・石田三成であった。

石田三成
 

日本史上空前絶後の、天下を二分した戦い=関ヶ原の戦いを企画・立案し、歴戦の将・徳川家康と五分にわたり合った。なぜ、三成はこれほどの大事業がやれたのか。

永禄3年(1560)、彼は近江国坂田郡石田村(現・滋賀県長浜市石田町)に生まれている。15歳になった頃、近江・長浜の城主となった羽柴(のち豊臣)秀吉に見出された。

『武将感状記』によれば、鷹狩りの途中に茶を所望した秀吉に、三成は、最初は大きな茶碗にぬるく点(た)てた茶を7、8分目。ついで少し熱いのを、3杯目には、熱い茶を少量入れて差し出し、利発なところを秀吉に見込まれたとある。