第三は、死期の近いターミナルの状態や意識障害の回復の見込みがない状態での生命維持のための治療を、過去の健康なときの意志や事前の判断に基づいて停止することで、尊厳死とも呼ばれる。
事前に治療方針を決めておく手続きが、日本では人生会議とかアドバンス・ケア・プランニングとして推進されている(わたしには手続き重視のお役所仕事のように見える……)。
また、意識障害で回復の見込みが無いと思われている状態であっても、最新技術を使えば意思疎通ができることが2006年に発見されたため、安易な安楽死・尊厳死への反省と見直しの機運も出てきている(参照「脳神経科学の現在 意識を探す」)。
第四は、安楽死が2001年にオランダで認められて以来、世界的にも議論されている、精神的・身体的な苦痛を訴える患者本人の要望に基づいた「医師介助自殺」である。
そこには「医師による自殺幇助(毒物を処方する)」と「(医師の手による直接的な)積極的安楽死」が含まれている。
ただし、世界的に議論されてはいるが主流になっているわけではなく、医師による自殺幇助を認めている国は少数派で、後者の積極的安楽死を認めている国はさらに少ない。
今回の事件は、形式上はこの四番目の意味での安楽死に近いようだ。
なお、日本では、自殺幇助も嘱託殺人も刑法上の犯罪である。