呉座勇一の直言「再論・俗流歴史本-井沢元彦氏の反論に接して」

なぜ持統天皇は初めて火葬されたか
呉座 勇一 プロフィール

それによれば持統天皇は、自身の葬儀の簡素化、「倹約」を命じている。結局、殯は約1年間行われたが、火葬後は天武天皇陵に合葬されたので、一定の「倹約」にはなっている。

 

持統天皇から譲位された文武天皇(草壁皇子の息子)も亡くなる際に葬儀の簡素化を命じ、火葬されている。殯の期間は5ヵ月に短縮された。

元明天皇(持統天皇の異母妹・文武天皇の母、正確には元明上皇)も、盛大な葬儀や長い服喪が人々の生活を損なうことを憂いて葬儀を簡素化するよう遺言しており、その具体策の一つとして丘を削らず山に竈を築いて火葬し、その地に遺体を葬り、別の場所に改めて巨大な陵墓を築かないことを命じている。

元明は遺言通り、火葬の地にそのまま葬られた。古墳は造らず、自然地形を利用した簡素な陵墓になった。殯も大幅に短縮され、死去してわずか6日後には埋葬された。

この辺りは古代史学界でも議論があるところなので、専門家でない私が軽々に断言できないが、持統天皇の火葬は、天皇葬儀の簡素化(薄葬)と関わりがあるのではないだろうか。葬儀を倹約せよという遺言を受けた人々が火葬を選んだのだから、何らかの関連性を想定するのが自然だと思う。

古代喪葬儀礼研究の専門家である稲田奈津子氏は、元明天皇による火葬の指示は薄葬の文脈上にあり、仏教的な要素を見出すことはできないと論じている。また、熱心な仏教徒であった聖武天皇が土葬を選んだことに触れ、仏教と火葬とが必ずしも結びついていないことを指摘している(「日本古代の火葬」、『歴史と民俗』31号)。

ちなみに現在の上皇陛下も火葬を望まれているが、その理由も葬儀の簡素化だという。

史料に基づくことの重要性

井沢氏が強調するように、持統天皇は日本史上、初めて火葬された天皇である。しかしながら、持統天皇が火葬された理由を明記した史料は存在しない。そもそも持統天皇の遺言には火葬せよという言葉がない。

では、どう考えるべきか。私が『週刊ポスト』2019年3月29日号掲載の「井沢元彦氏の公開質問状に答える」で述べたように、「史料がないので結論は出せない」というのが歴史学の基本的な態度である

こうした歴史学界の慎重な研究姿勢に対して井沢氏は、「具体的な証拠、つまり史料が無い限り、歴史的事実と認めてはならない」という「史料絶対主義」は単なる怠慢であると再三にわたって批判してきた。史料がなければ「推理」すれば良いではないか、というのが井沢氏の立場である。

確かに史料がないからといって考察を止めてしまうことが常に正しいとは限らない。特に古代史の場合、史料がどうしても限られるので、踏み込んだ推論も時には必要である。けれどもそれは、何の根拠もない思いつきを「仮説」と強弁しても構わない、ということを意味しない。

持統天皇の火葬を例に取ると、持統天皇の火葬に関する直接的な史料はないが、たとえば元明天皇が火葬せよと遺言した記録など、関連する史料は存在する。

であるならば、そうした史料を読み解き、そこから類推するのが歴史学者のやり方である。決定的な史料はないので結論を確定させることはできないが、あえて「仮説」を唱える場合には関連史料を集めて脇から攻めるのである。

古代天皇の火葬について論じるのに、殯にも薄葬にも言及せずに、何の史料的根拠もなくケガレに結びつける井沢氏の論法は、はじめに結論ありきの牽強付会と言わざるを得ない。

井沢氏に限らないが、荒唐無稽な珍説を提起する自称歴史家は、「史料がないから推理する」という短絡的な発想に陥りがちだ。「史料がない」と言い切れるほどに、彼らは史料を探し、史料を読んでいるのだろうか

苟(いやしく)も歴史家を名乗るのであれば、「史料絶対主義」を批判する前に、先人が残してくれた史料の重みを知るべきである。