呉座勇一の直言「再論・俗流歴史本-井沢元彦氏の反論に接して」

なぜ持統天皇は初めて火葬されたか
呉座 勇一 プロフィール

可能性としては2つしか考えられない。

『日本史真髄』執筆の時点で井沢氏が「飛鳥時代には宮都が固定化されつつあった」という発掘調査の成果を知らなかったか、知っていたが自説に不都合な事実だったので伏せたのか、の2つである。

前者なら不勉強だし、後者なら不誠実である。そして私に飛鳥京の発掘調査の成果について指摘されると、「自分は宗教的真実の話をしている」と議論をすり替えたのである。

 

井沢氏は「実際には飛鳥時代の宮都は天皇一代ごとに移転せず建物を使い回していた、という最新の考古学の調査結果(これは確定した事実である)」と記しているので、少なくとも現時点では、考古学の成果をおおむね受け入れているようである。

ならば井沢氏は、私に反論する前に、『日本史真髄』の記述の誤りを認め、潔く撤回すべきだと思うが、いかがであろうか

挙証責任の転嫁

井沢氏は「飛鳥時代、宮都が天皇一代ごとに移転したと(実際はどうあれ)『日本書紀』に明記されていた」ことが重要であると主張する。だが「実際はどうだったか」は決定的に重要である

飛鳥宮跡 石敷井戸 復元遺構(photo via Wikimedia Commons)

井沢氏は『日本史真髄』で次のように問いかけている。「なぜ飛鳥時代以前は、都を天皇一代限りで移すという無駄なことをやっていたのか」と。そう、井沢氏のケガレ移転説は、実際に宮都が天皇一代ごとに移転したという「科学的事実」を出発点にしている。

考えてみれば当然のことである。前回の記事でも述べたが、もともとケガレ移転説は、都の建設・放棄を繰り返すという「無駄なこと」を説明するための「仮説」である。実際に移転しているからこそ、井沢氏の「ケガレ忌避信仰という宗教」による説明にそれなりの妥当性が感じられるのである。

『日本書紀』の記述が実態を反映していないのなら、現代人に理解不能な「無駄なこと」はやっていないことになるので、ケガレ移転説のような無理な説明はもはや必要ない

井沢氏は「宮都が天皇一代ごとに移転したと『日本書紀』に明記されていた」と主張するが、要は宮の名前を改めたというだけの話である。新天皇の宮の名前を新たにつけた理由を考える場合に、ケガレがどうこうという理屈が必要だろうか。

井沢氏は「「実際はともかく理想はそのようにしたいという信仰(宗教)」があったことは、まったく否定されないのである」と反論する。拙著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で触れたが、こういう反駁は陰謀論・トンデモ説に典型的な手法である。すなわち、挙証責任の転嫁である。

単純化して説明すると、「UFOが地球に来た。この写真が証拠だ」という主張する人が「この写真は捏造だ」と批判されると、「この写真だけが証拠ではない。UFOが地球に来ていないと証明してみろ」と返すやり口である。「実際に宮都が天皇一代ごとに移転した」という重要な前提が崩れた以上、立証責任を負うのは井沢氏の側である。

ケガレ意識には歴史的な変遷がある

とはいえ、そうあっさり切り捨ててしまうのでは味気ない。井沢説の問題点をもう少し指摘しておこう。

井沢説の核心は、持統天皇(正確には持統上皇だが、行論の便宜上、持統天皇とする)の火葬によって首都の固定化が可能になった、という点にある。「仏教の中にあった「火が汚いものを浄化する」という思想を利用することで、自らの遺骸を火葬にし、死穢による都の汚染を防ごうとした」(『日本史真髄』)というのである。なお、死穢とは死のケガレのことである。

井沢氏は「古代日本には『古事記』という史料によって「死のケガレ」はあらゆる不幸の根源であるという信仰があったことが確認できる」と説く(前掲『逆説』)。しかし拙著『日本中世への招待』(朝日新書)でも論じたように、素朴な死への恐怖や死体の腐敗への嫌悪感と、歴史学で言うところの「ケガレ忌避観念」とは別物である

死体がある場所、空間までもが穢れるという感覚が史料上に確認できるのは平安時代からであり、奈良時代以前に既にあったかどうかは定かではない。