天武天皇・持統天皇檜隈大内陵 拝所(photo via Wikimedia Commons)

呉座勇一の直言「再論・俗流歴史本-井沢元彦氏の反論に接して」

なぜ持統天皇は初めて火葬されたか

以前、私は現代ビジネスで、作家の井沢元彦氏が歴史学界を「専門バカ」と誹謗中傷しつつ、根拠の乏しい自説を「歴史ノンフィクション」と銘打って発表していることを批判し、氏の「仮説」の問題点を具体的に指摘した

「俗流歴史本」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る井沢元彦氏の批判に答えて(2019.06.13) 

これに対し井沢氏は今月の新刊『逆説の日本史25 明治風雲編』(小学館、以下『逆説』と略記する)で反論を行った。井沢氏は私にわざわざ上記の本を送って下さったので、氏の反論にお答えしようと思う。それによって、「俗流歴史本」に共通する問題点が浮かび上がるはずだ。

井沢氏の反論は多岐にわたるが、最大の論点は氏の「ケガレ忌避のための首都移転」説(以下、「ケガレ移転説」と略記する)の是非である。

井沢氏によれば、古代においては天皇一代ごとに首都が移転していたという。

そして井沢氏は、「首都移転を繰り返したのは天皇の死によるケガレを避けるためであった。しかしそれでは首都の恒久的な発展は望めないと考えた持統天皇が仏教の火葬という制度を取り入れることによってケガレを排除し、首都を固定することに成功した」(前掲『逆説』)と持論を展開した。

 

議論をすり替えた

さてケガレ移転説の問題点については前述の拙記事で詳しく述べたので、できればそれをご参照いただきたいが、ここで井沢氏による要約も引用しておこう(前掲『逆説』)。

私が『日本史真髄』において「いわゆる飛鳥時代には、天皇一代ごとに宮都が移転していた。それは天皇の死のケガレを嫌う、ケガレ忌避信仰という宗教があったからだ」という理論を展開したところ、呉座は実際には飛鳥時代の宮都は天皇一代ごとに移転せず建物を使い回していた、という最新の考古学の調査結果(これは確定した事実である)を示し、井沢が言うように天皇一代ごとに宮都が移転したという事実は無い。本来ならそうした調査結果もちゃんと〈勉強〉しておくべきなのに井沢はそれを怠っている。だからこそ〈もし勉強するのは億劫で、推理だけしていたいと言うのなら、推理小説家に戻られてはいかがだろうか〉と決めつけたのである。

さすが作家だけあって、私の批判を上手くまとめている。ただし、私が紹介した発掘調査の成果は1990年代には判明しているので、別に「最新」ではない。これに対して井沢氏は『逆説』でどう反論しているのだろうか。以下に引用する。

実際には「宮都は天皇一代ごとに移転せず建物を使い回していた」ということが科学的事実として如何に証明されようと、当時の記録である『日本書紀』には「天皇一代ごとに宮都が移転していた」という「宗教的真実」が書かれているのである。つまり、「実際はともかく理想はそのようにしたいという信仰(宗教)」があったことは、まったく否定されないのである。

要するに井沢氏は、自分が扱っているのは「宗教的真実」であり、実際に首都が移転していたかどうかという歴史的事実は関係ないと述べている。現実には首都が固定されていたとしても、移転しているかのように『日本書紀』が記述していることが重要だというのである。

最初に確認しておく。わずか2年前に刊行された『日本史真髄』で、井沢氏はどのように主張していたかを。以下に引用する。

古代日本人は、もったいないと思いつつも都そのものを放棄して、ケガレていない土地に新たな都を建設し、移転するしかなかった。もちろん、旧都の建物はケガレてしまっているので、新都に移築することはできない。たとえそれがまだ香りも新しいヒノキ材を使った建物だったとしても、そのまま打ち捨てられたのである。

上の一文を読んで、「実際はともかく理想はそのようにしたいという信仰(宗教)」について井沢氏が説いていると思う読者はいないだろう。明らかに『日本史真髄』の時点では、首都が実際に移転しているという事実認識に基づいて議論を展開している。「宗教的真実」ではなく歴史的事実を語っている。

なぜか。