自分で選べなくなる

最近、進路先を自由に選べない10代の話を、親の世代と子どもの世代と両方から聞くことが増えた。それは、「親に選ばせてもらえない」ということと、「自分で選択することができない」という二つの問題点があるような気がする

あるアンケート調査では、20代女性が初めて自分で選択したのは「就職」という答えが一番だったという。人生にはどれほどの選択のタイミングがあるのだろう。限られた選択のチャンスを親に奪われていたら、自分では何も決められなくなるのではないだろうか

子どものうちに、トライ&エラーの練習や選ぶ筋肉と基礎体力を養わずに、社会の波に放り出されたら、溺れてしまう。小さな取捨選択の積み重ねが、自信につながる

写真提供/バービー

子どもにとって、親は「インフラ」

反抗的な子どもに対して大人たちは、「親の言うこと聞きなさい」「親のおかげ」「親になんて口をきくんだ!」等々、たくさんの親リスペクトなフレーズを浴びせることがある。でも本来、親はインフラでしかないはずである

もちろんそれは良い意味でだ。子どもは無償でインフラサービスを得ることができてしかるべき存在なのだ。インフラを整えなかったり、ダシに対価を求めたりは許されない。それはネグレクトであり、虐待である。

「親がお金を出すんだから、親の言う学校にしなさい」こんな親リスペクトなフレーズは、子どもにとって「脅し」でしかない。ただでさえ真っさらな何の情報も入っていない赤ちゃんの脳に、刺激を与えていくのは養育者である親だ。人格形成にものすごい影響を与えている。無理に押し付けなくても自然と倣ってしまうものだから、子どもは親を全く切り離せないのだ

と書きながらも、ふと不安になる。自分は自由に育ててもらったくせに、いざ自分が親という立場になったら、できるだろうか。

子どもにとやかく言うわけではないのに、世話はちゃんとする。身を削って大変な思いをして育児しているのに、その子どもにエゴをなすりつけない。なかなか難しいことだと思う。自分の思い通りになんていかないであろう育児をしながら、子どもをどんな時でも受け入れることができるのだろうか