べちゃべちゃのおにぎりが
「親の中の自分」を教えてくれた

では、なぜ私はそれでもヤサグレなかったのか。

ちなみに、うちの朝ごはんは毎日チャーハンだった。それが変なことだと思わなかった。油ぎっとりで残り物をこれでもかと混ぜて炒めたチャーハンでも、美味しく食べていたし、そもそも食べなければ給食までお腹がもたなかった。

部活で朝早くから家を出ても、母はソフトボールみたいに大きく丸くギチギチに握ったおにぎりを持たせてくれた。お友達とおにぎりを交換しあった時、「花菜ちゃん家のおにぎりべちゃべちゃ」と人気がなかったが、私は大好きだった。

写真提供/バービー

関心は持たれていなかったけど、ご飯を通して、親のなかに私の存在があることを感じられていたということだと思う。

他に、私が親に感謝したいことは、私に「選択肢」を提示してこなかったことだ。「バイクは乗るな!」と「宗教に入るな!」だけはきつく言われていたが、人生における選択はすべて自分で選ばせてもらった。

テストで100点をとっても、テニスで地区優勝しても褒められたことはなかったが、ひとりの人として尊重して育ててくれた

写真提供/バービー