75年前、敗戦の直前まで「日本国民は笑っていた」のはなぜなのか?

戦時下を生きた山田風太郎の「記録」
一ノ瀬 俊也 プロフィール

少年少女の残酷な笑い

山田は3月10日の空襲のさい、ある国民学校に設けられた避難民の休憩所をみた。そこにいるよう命じられたのであろう少女たちは「きゃっきゃっと笑っている」のだが、「眼の見えない老人や老婆が、続々と両腕を支えられて入って来る」と「痛ましそうな優しい声で、『どうぞ』と叫びながら駆け寄っていた。しかし、今までの惰性で、その円い顔にはまだ笑いの影がとれないのである」。

無邪気な笑いといえばそれまでだが、避難している人たちがそれをみたなら(実際にはみえないが)、残酷な笑いであったろう。

5月8日、山田たちは「学徒がんばれ、学徒がんばれ。──今日は人の身、明日はわが身。──空襲警報!空襲警報!火だあ。火だあー」と、けたたましく叫ぶ「ほお赤く元気そうな長屋風のおかみさん」を見かけた。「頻々たる空襲──或は先の大爆撃大火災の中に発狂せる人々の一人」とみた。そんな彼女を「そこらの軒下に女子供十人ほど並びいて、好奇と笑いに眼をかがやかして見物し」ていた。

おかみさんを眺める子どもたちの笑顔は罪や悪意のない、無邪気なものだったろう。だがその無邪気さが、かえって人々の運命の残酷さを浮き立たせている。

 
『隣組防空絵解』に描かれた水のかけ方

残酷ともいえる明るい表情は、子どものみならず、大人たちも浮かべていた。

5月25日夜の空襲──その前日、山田の下目黒の下宿も焼けた──で、山田は「津雲という代議士」──津雲国利の邸宅が燃え上がるのをみた。 人々はそれを見ながら「『惜しいなあ!』『助けたいものだがなあ』と、口々に嘆声を発していた。しかし、みな腕をこまねいているだけで、どうやらこの富めるものの潰滅の光景に、どこか歓喜をおぼえている眼のかがやきでもあった」。

庶民にとっての空襲は、富める者が自分たちの境遇にまで引きずり下ろされる、得がたい機会でもあったのだ。

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