【戦場秘話】若き熱血軍医が見た「人間魚雷」回天特攻作戦の悲劇

幻の東京五輪代表候補だった慶應ボーイ
神立 尚紀 プロフィール

奇跡の敵発見。回天発進するも…

敵船団を求めて航海するうち、何度かかすかなスクリュー音を探知、その都度、「回天戦用意」が下令され、艦内に緊張が走ったが、いずれも距離が遠すぎて捕捉できなかった。

潜航、浮上を繰り返す航海が長くなると、回天の故障が多発する。そのため、5月26日、伊三百六十七潜に、第六艦隊から帰投命令が発せられた。

 

だが、回天搭乗員たちは、「明日は海軍記念日(5月27日。日露戦争で日本の聯合艦隊がロシア・バルチック艦隊を破った日)だから、必ず敵に遭うような気がする」と言い、艦長もそれを了承した。潜水艦には風呂もシャワーもないが、搭乗員たちの願いで、26日には貴重な真水を盥に汲んで、狭い通路で3週間ぶりの沐浴をさせている。

「霊感というか、命を懸けた予感は当たるもので、5月27日未明、敵船団を発見しました。潜水艦の乗組員も、回天搭乗員も、鉢巻をキリっと締めて立ち上がる。艦長の『総員配置ニ就ケ』の号令がかかる。艦長が潜望鏡で確認したところによると、敵は、駆逐艦数隻に護られた、戦車揚陸艦をふくむ10数隻の輸送船団とのことでした。

ただちに『回天戦用意』『回天搭乗員乗艇』が命じられ、藤田中尉は私に、『軍医長、お世話になりました。では行ってまいります』と言うやいなや、交通筒をくぐって回天に乗り込み、ほかの搭乗員もそれに続きます。交通筒のハッチを閉める音が胸にこたえました」

交通筒の空間に海水が充填されると、「回天機械発動」が下令される。しかし、一号、二号、四号艇は、長期にわたる航海のためか、故障して始動できない。敵船団は刻々と移動している。艦長は始動した三号艇、五号艇に発進を命じた。千葉一飛曹と小野一飛曹、いずれも10代の若者だった。

「回天のスクリュー音が遠ざかっていき、やがて聴こえなくなった。発進できなかった回天の交通筒の海水を艦内に落とし、ハッチを開いて3人の搭乗員を収容しました。皆、青ざめた顔で、男泣きに泣いていましたよ。特に藤田中尉の落胆ぶりは、気の毒で見ていられなかった。『俺の艇はなぜ動かないんだ! 俺は真っ先に行くんだ。小野、千葉、すまない!』……彼は顔を伏せ、上げようとはしませんでした。艦の乗組員もみんな、涙を流していました」

回天発進後約40分、遠くに爆発音が聴こえた。続いてもう一回。乗組員たちは、千葉一飛曹、小野一飛曹は伊三百六十七潜が退避した頃を見計らって突入してくれたのだ、と囁き合ったが、この日、回天の戦果を裏づける米軍史料は見つかっていない。おそらく、敵船団への突入を果たせないまま、航続力が尽きて自爆したものだと推測される。

(これについては、回天搭乗員だった小灘利春大尉が戦後、艦長が慎重すぎ、海中で無駄な動きをしたためにタイミングを逃し、回天にとって不利な態勢での発進になったという趣旨の論考を発表している)

艦長が惑乱し、艦内は反乱寸前

武富艦長は出港後、回天戦の重圧からか、次第に精神の平衡を失い、しばしば部下を怒鳴りつけ、当たり散らした。部下たちは、陰で艦長のことを「艦スケ」と呼び、反発を露わにするようになっていた。

梶原さんは折に触れ、そんな艦長を慰め、激励してきたが、回天を発進させてからというもの、艦長の精神状態はいよいよ不安定になり、ウイスキーをあおっては惑乱し、士官にまで手を上げた。そして苦しそうに一点を見つめて、痛みをこらえるように手で腹を押さえ、顔をしかめるのだった。

「ついに下士官兵たちが、『俺たちはもう、艦スケの言うことなど聞かない!』と騒ぎだした。若い桑原中尉、相馬中尉が兵員室に飛んで行きましたが、彼らは聞く耳をもたない。下士官上がりのベテランの掌水雷長が、張り倒さんばかりの強い言葉で説得しても、彼らはひるまず、艦長不信を叫びました。

もはや、サボタージュやストライキの域ではなく、暴動寸前です。そこで私が出て行き、『黙れ!お前たち、ここをどこだと思ってる!』とやったんです。日頃、大声を出さない私が怒鳴ったので、皆一瞬、静まり返りました。

そして、『この攻撃の最高責任者である艦長の気持ちがどんなものか、わからないのか! ただ、艦長は健康を害されている。艦長のことは俺が引き受けた、お前たちはとにかく命令に従え!』と。最後は先任下士官が、『わかりました。軍医長、お願いします』と言って任せてくれました」
 
梶原さんは、艦長を、極度の神経衰弱のため航海の指揮は不可能と診断し、軍医の職権で艦長室での静養を指示した。艦長を、いわば軟禁したのである。これは、「司令部附」で、艦長直属の部下ではないからこそできたことだった。

そして、復路の数日間、梶原さんが事実上の指揮をとり、伊三百六十七潜は6月3日、大津島を経て、4日、呉軍港に帰還した。

「さっそく艦長を呉海軍病院にお連れすると、十二指腸潰瘍が見つかり、即刻入院となりました。そのうちに新しい艦長が着任し、私も後任の軍医長が来て、追い出されるように伊三百六十七潜を降りたんです。

85名の乗組員と回天整備員の命を預かって、回天に出撃を命じる艦長の重圧はとてつもなく大きかったんでしょう。錯乱状態になったことを責める気持ちにはならなかった。艦はまもなく、新艦長のもと、また回天を搭載して出撃していきました」