【戦場秘話】若き熱血軍医が見た「人間魚雷」回天特攻作戦の悲劇

幻の東京五輪代表候補だった慶應ボーイ
神立 尚紀 プロフィール

日本海軍始まって以来の「軍医兼操舵手」

徳山沖の大津島に、回天の基地がある。伊三百六十七潜は、ここで回天5基と搭乗員5名、整備員5名を積み込み、さっそく訓練が始められた。

搭乗員が、交通筒を通って、母艦の潜水艦から回天に乗り込み、回天と潜水艦両方の交通筒ハッチを閉める。両端を密閉された交通筒内へ海水を注入、交通筒内の空気は艦内に取り入れる。艦長は潜望鏡で目標を視認しながら、回天へ、敵までの距離、進行方向、速力を電話で知らせ、回天の針路、潜航時間を指示する。

 

次に、回天の機関を発動し、「バンド外せ、発進!」の号令で電線を切断、回天は母潜から切り離される。回天の搭乗員は、定められた潜航時間ののち浮上し、特眼鏡で目標を確認して突撃針路を計算し、突入する。

回天の発射訓練は、瀬戸内海で二日にわたって行われた。ところが、この訓練中に、掌帆員(操舵手)が発熱する。症状は次第に悪化し、梶原さんの診たところ、肺炎の兆候がみられた。だが、潜水艦は必要最小限の人員で動かしていて、重要配置の者に代わりなどいない。出撃を目前に控えて、交代員の発令も間に合いそうにない。

困り果てている艦長に、梶原さんは、「艦長、私が代わりに舵をとります」と申し出た。

「私は学生時代、こんな鈍重な艦ではなく、非常に軽く敏感なボートの選手だったので、こんな艦の操舵ぐらい、お安い御用です」

はじめは懐疑的だった艦長も、訓練中、梶原さんに操艦を任せてテストし、ついにOKを出した。ここに非公式ながら、日本海軍始まって以来の、「軍医兼操舵手」が誕生した。

梶原さんは、訓練の合間にしばしば、艦長の供をして街に出て、料亭で酒を飲んだ。回天搭乗員に発進を命じる苦衷を艦長が語ったのも、この頃のことである。

伊三百六十七潜艦長・武富少佐は、海軍兵学校を昭和13(1938)年に卒業した六十五期出身で、このとき29歳。海軍中将武富邦鼎を祖父に、海軍少将武富邦茂を父に持ち、兵学校時代はラグビーのバックスとして鳴らした。

昭和14(1939)年には陸戦隊小隊長として海南島攻略作戦に参加、のち潜水艦に転じたが、これまで、二度にわたって病気で長期休養したことがあり、芯から体が丈夫なほうではなかったのかもしれない。何ごとにも慎重、細心、緻密で、軍人らしからぬ繊細な人であったという。

艦長は艦の最高責任者だが、潜水艦の軍医長は、上部組織である第六艦隊司令部附という立場で、そこから乗艦を指定されるので、指揮系統上、軍医長は艦長の部下ではない。直属の部下ではなく、本来なら戦闘員でもない軍医長が相手だからこそ、艦長も、

「彼らはモノじゃない。俺は苦しいんだ」

と、人間的な胸の内を明かすことができたのだ。

若き回天搭乗員たちの意外な素顔

伊三百六十七潜に搭載された「回天」は、「回天特別攻撃隊振武隊」と命名され、昭和20年5月5日、第六艦隊司令長官・醍醐忠重中将以下の見送りを受けて、大津島を出撃した。サイパンと沖縄を結ぶ線上、沖ノ鳥島周辺海域で、沖縄へ増援に向かう敵船団を待ち伏せ、攻撃するのがその任務である。

振武隊出撃前。前列左から、岡田一飛曹、吉留一飛曹、武富艦長、第六艦隊長官醍醐中将、藤田中尉、小野一飛曹、千葉一飛曹。後列左から、板倉参謀、末廣艦隊主計長、長井司令官、有近参謀、揚田司令、鳥巣参謀
昭和20年5月5日、伊三百六十七潜出撃の日。第六艦隊司令長官醍醐中将より短刀を授与される岡田一飛曹
出撃時、艦上で醍醐長官が回天搭乗員と別れの握手をする

「ちょうど端午の節句で、潜望鏡に鯉のぼりを掲げて出港しました。このとき私は、さほどの悲壮感も覚えなかった。学生時代、長く苦しい合宿練習を終え、ボートレースで先輩、後輩、友人たちに見送られてオールを握りしめ、台船を離れる瞬間に似て、よし、やってやるぞ、見ていてくれ!と、軽いサバサバした気持ちでした。

もはやこの戦争に勝つとは思えないが、せめて一矢を報いたい。死ぬとか生きるとかよりも、目の前にある任務と敵愾心のほうがまさっていたと思います。艦は、夜間は浮上し、昼は潜航し、一時も気を抜くことなく見張りを厳重にしながら、予定海域に向かいました」

昭和20年5月5日、鯉のぼりを掲げて大津島から出撃する伊三百六十七潜

航行中、乗組員は三直交代で配置につく。2時間配置につき、4時間休憩することを繰り返すのだ。梶原さんは、航海長・桑原義一中尉、砲術長兼通信長・相馬修中尉と交代で、操艦にあたった。2人とも梶原さんより若く、戦闘航海の経験は浅い。自然と、軍医の梶原さんが、艦長の次の先任士官のような立場になった。

「目的地に到着したものの、敵の影すら見えない日が続きました。敵と遭えば死ぬ運命の回天の搭乗員はどうしているかと思って見に行くと、ほかの乗組員と雑談したり、寝台に寝そべって雑誌を読んだり、ふだんと全く変わらない様子でした。皆、朗らかで謙虚な、非の打ちどころのない若者でした」

回天搭乗員は、藤田克己中尉(兵科予備学生三期、福岡高等商業学校〈現・福岡大学〉卒)を隊長に、千葉三郎一飛曹、小野正明一飛曹、岡田純一飛曹、吉留文夫一飛曹(いずれも甲種飛行予科練習生13期)の5名。なかでも、藤田中尉の人柄は、梶原さんに強い印象を残した。

「優しい兄貴、といった感じで、部下の面倒をよく見ていました。郷里には両親と妹さんがいて、男の兄弟には恵まれなかったが、いま立派な弟4人を持って幸せだと言っていました。

特に妹さんへの思いやりの言葉を聞いていると、『こんな優しい人がどうして回天のような恐ろしい兵器に』と不思議に思うほどでした。戦争は、ほんとうの愛に満ちた優しい男たちに、無限の力と勇気を与える、そんな気がしましたよ」

回天特攻振武隊の搭乗員たち。左から岡田一飛曹、吉留一飛曹、藤田中尉、小野一飛曹、千葉一飛曹