【戦場秘話】若き熱血軍医が見た「人間魚雷」回天特攻作戦の悲劇

幻の東京五輪代表候補だった慶應ボーイ
神立 尚紀 プロフィール

最前線の島で見た衝撃の光景

だが、梶原さんはわずか10日で、乗艦が伊三百六十八潜の同型艦、伊号第三百六十七潜水艦に変更される。伊三百六十七潜は、中部太平洋で孤立しているウェーク島守備隊に、食糧や医薬品を届けるため、12月4日に横須賀を出港することになっていた。単艦での長期航海となるため、軍医が必要だったのだ。

 

「急遽、横須賀に向かって着任すると、甲板上にも艦内にも、物資を詰め込んだゴム袋が山積みになっていて、異様な感じがしました。この潜水艦は輸送用だから、亀の子のようにずんぐりした形をしていて、物は積めるが速力は出ない。敵艦に発見されたら逃げようがありません。

昼間は潜航し、夜間の数時間、浮上して充電と酸素補給をするんですが、夜、艦橋に上がると、艦は夜光虫の航跡を残しながら波に揺られているように見える。波に向かうときは後退するような気がするし、波を越えると前へ進む気がする。

艦長・武富邦夫少佐に、『艦長、この艦は一進一退していますなあ』と言うと、艦長に『軍医長、馬鹿を言うな。これでも進んでいるのだぞ』と叱られました」

艦内に病人が出なければ、航海中、軍医にはやることがない。しかし、酸素の浪費を防ぐため、用のない者は狭い寝台で静かにしていないといけない。敵艦の音波探知機(ソナー)に探知されるのを防ぐため、潜航中は物音を立てたり、大声で話したりするのもご法度である。

「仕方なしに鏡を出して自分の顔をまじまじと眺める。舌を出したり、目を大きくしたり細くしたり、鼻の穴を膨らませてみたり。これでもいくぶん、退屈がしのげるんです」

横須賀港からウェーク島まで約3200キロ、平均時速約10キロ(約5.5ノット)で航行し、13日をかけて無事に物資を届けることができたが、そこで見た、栄養不足で骨と皮ばかりに痩せ衰えた日本軍将兵の姿は、梶原さんに衝撃を与えた。

「私は主計兵に命じて飯を炊かせ、大量の握り飯をつくらせて、島の兵隊に配りました。そして、帰りは俺たちは食わんでいいだろうと、艦の食糧も陸揚げしました。島の司令官や軍医長がお礼に来られましたが、我々より一回り小さく見えて、かわいそうでしたよ」

帰途、敵艦に発見され、執拗な追尾を受けるが、潜航してひたすらじっとしていることで、なんとかやり過ごすことができた。

50時間におよぶ潜航で、艦内の二酸化炭素濃度は、当時致死量とされていた3パーセントを超え、5パーセントに達したという。横須賀に帰還したのは昭和20年1月1日。1ヵ月近くにおよぶ酸素不足と高温下の航海で、乗組員の体には浮腫が出て、別人のように青白くなっていた。

東京大空襲で父と姉妹を亡くす

伊三百六十七潜は、ふたたびウェーク島へ補給に向かうべく準備を始めたが、やがて任務が変更になり、特攻兵器「回天」を搭載、出撃することになった。これで、ウェーク島への補給の道は絶たれたことになる。

「回天搭載の工事には時間がかかりました。潜水艦の内殻(水圧に耐えるよう厚い鉄板でできた内側の壁)に穴をあけ、甲板上に積む回天の下部とつなぐ交通筒を5つ、それに艦内と回天の連絡用の電話線、固縛バンドとそれを艦内から脱着する装置の取り付けなど、かなり手のかかる作業でしたね」

艦の工事中、3月10日未明、東京は米陸軍の大型爆撃機・ボーイングB-29による大空襲を受け、10万人ともいわれる住民が猛火のなかで命を落とした。なかでも、梶原さんの家があった本所区(現・墨田区)の被害は壊滅的だった。

「横須賀から駆けつけると、家は跡形もなく焼け、そこにいた父と姉妹3人が亡くなっていました。艦長が厚意で、部下を自由に使って片付けをしてもよいと言ってくれましたが、全て焼けてしまって片づけるものさえないありさまでした。

田舎の疎開先から戻ってきた妹と会い、近所の焼け出された人の協力で、ようやく亡くなった姉妹の遺体を見つけ、妹と二人でこれを荼毘に付しました。周りには、片づける人もいない老人や女の人、子供の焼け焦げた死体が路傍に転がっていて、それはもう、地獄のような光景でしたよ。

そのときの気持ちはね、私は自分の家族や街の人たちが戦禍に遭わないようにするために海軍に入ったんじゃないのか、と。守るはずだった人々を守れなかった自責の念、そして、自分の命はどうあれ、絶対に敵に一矢を報いてやる、という復讐心でした」

伊三百六十七潜は、4月末に改装工事を終えると、回天の訓練のために瀬戸内海に向かった。

「このとき、艦内の雰囲気はなんとなく湿っぽくて、私に悔やみを言ってくれる乗組員もいましたが、私は、出撃を控えてこれじゃダメだと思った。

たまたま前年6月、私の誕生日に母が疎開先の甲府で亡くなったことを思い出し、乗組員たちに、『俺の母は、俺の身代わりに、昨年の俺の誕生日に死んだのだ。だから俺は絶対に死なないぞ。皆も、俺の周りにいれば死なない、俺についてこい!』……半分虚勢ですけどね、

そうしたら兵隊たちは歓声を上げて喜んじゃって。『俺は軍医長の側を離れないぞ』という者もいたり、それで艦内は明るさを取り戻したような気がしました」