私を含めた、世の中のほとんどの人は「成功したい」と考えているはずだ。もちろん、「成功」の基準を何に置くかという問題はある。ただ「金持ち」だというだけでは、幸福とは言い切れないし、「人生の成功者」とも言えないことはあえて説明するまでもないであろう。
私自身の人生観は、6月26日の記事「コロナで人生の終末を意識するようになった人に贈る『完全燃焼の心得』」で述べたように、内面性の充実に重きを置いている。
しかし、ひとたびスタートラインに立ち、ゴール目がけて走り出せば、勝利を目指すのが人情(ある意味本能)だと思う。
ゆとり教育華やかりし頃、「小学校の運動会の徒競走で、途中まで全力で走るが、ゴール直前で足の速い学童は足踏みをして待つ。そして、最後は全員手をつないでゴールインし、順位は付けない。」という話を良く聞いた。
どのように考えても馬鹿げた行為だ。順位をつけるのがいけないということであれば、競争そのものを排除するしかないが、そのような社会は何ら発展せず、没落するしかないことは歴史が示すところだ。
もちろん、競争をすれば「勝者」と「敗者」が生まれるのは必然である。そして、誰もが願うことなら「勝者」となり「敗者」にはなりたくないと考える。