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コロナ深刻化で五輪中止も…巨大イベントが日本人を翻弄してきた歴史

五輪が開会されるはずだった日に考える

東京五輪「中止」の声も多い現実

今日7月24日は、当初の予定では「東京2020オリンピック」の開会式が、新国立競技場で華々しく開催されているはずの日だった。ギリシャで採火され、日本列島を巡ってきた聖火が東京千駄ヶ谷に到着して、盛大なセレモニーが予定されていたのである。

しかし、世界中で猛威を振るうコロナ禍のため、3月30日にIOC(国際オリンピック委員会)と大会組織委員会、東京都、日本政府は開催の1年延期で合意した。延期の判断が下されるまでには、「中止すべきだ」という声も多かった。

ただ一方では、 “アスリート・ファースト”や経済効果(あるいは経済が停滞することへの懸念)から、延期をしてでも開催を望む声も少なからずあった。

しかし、あれから4ヵ月近く経って、今また感染症の拡大が再燃している状況で、中止の意見が勢いを増している。

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近代オリンピックの延期は史上初めてのことで、中止はこれまでに5回を数える。中止の理由はいずれも戦争によるものだが、5回中2回は、日本で開催される予定の大会だった。

1940年(昭和15)の東京大会が、日中戦争の悪化のために返上されて、“幻”になったことはよく知られているが、夏季五輪と同じ年に開催を予定していた冬季札幌大会も中止になっている。

巨大イベントは、それがたとえ体制側が主導したものであっても、結果的に大衆を熱狂させる。しかし準備の過程でも、イベントが終わったあとでも、人々は多くの犠牲を払うことになる。ましてや中止や延期となっては、翻弄の歴史しか残さなのではないか。

そこで本稿では、実現した五輪と万博と、いまや忘れ去られようとしている“幻の博覧会”をとおして、巨大イベントの裏面について考えてみたい。