恐怖の負の遺産・三峡ダムは最終的に爆破で取り壊さざる得ないのか?

決壊よりましだが目をそらす歴代指導者
北村 豊 プロフィール

国家指導部に無視された完成式典

この通り、三峡ダムのダム本体工事は2006年5月20日に完成したが、費用の節約を名目にして、なぜか完成式典は大幅に簡素化された。

旗や標語が飾られた会場で開催された完成式典に参加したのは、関連する建設部門の指導者と代表だけで、指導幹部が完成を祝う挨拶を行った後に爆竹が鳴らされ、式典は開始からわずか8分間前後で終了になった。

実際の総投資額1800億元(約2兆7000億円)で建設された三峡ダムの完成式典はわずか数百元(約6000円)の費用で行われたのだった。

三峡ダム建設計画は世界最大のダムを建設する事業であり、中国の国家プロジェクトであった。このため、1994年12月に行われた起工式には国務院総理の李鵬が参加していたことは既に述べた通りだが、1997年11月8日に行われた「大江截流儀式(長江の流れを遮断する式典)」にも国家主席の江沢民が国務院総理の李鵬と共に参加していた。

 

しかし、それから8年半後の2006年5月に行われたダムの竣工を祝う完成式典には国家指導部からは誰一人も参加しなかったのであった。簡素化されたとはいえども、1994年の起工式や1997年の遮断式典との対比で考えると、誰が考えても奇異の感を禁じえないだろう。

2006年5月時点における国家主席は胡錦涛であり、国務院総理は温家宝であった。胡錦涛は清華大学水利学部の「河川中核発電所専攻」を卒業したダム発電の専門家であり、温家宝は北京地質学院の修士課程を卒業した地質の専門家である。

彼ら2人にとって三峡ダムは前任の国家主席の江沢民と国務院総理の李鵬が残した置き土産であって、専門家の目から見て決して喜ばしいものではなかったと想像される。それが証拠に、胡錦涛も温家宝も彼らの在任中に三峡ダムを視察することはなかった。

三峡ダム建設計画は、1992年4月3日に第7期全国人民代表大会第5回会議で決議されたが、当時の胡錦涛はチベット自治区党委員会書記として、また温家宝は中国共産党中央書記処候補書記として、それぞれ上述の第5回会議に参加して三峡ダム建設計画議案に対して賛成票を投じたはずである。

1992年10月に開催された中国共産党第14回全国代表大会で行われた投票によって、彼ら2人はそれぞれ中央政治局常務委員と中央政治局候補委員に選出されたが、後の出世を考えれば、たとえ本心では三峡ダム建設計画に反対であったとしても、議案の票決で反対票を投ずることはできなかったはずで、保身の思いが反対票を封じたのだろう。

習近平が21年ぶりに

上述の通り、胡錦涛も温家宝も三峡ダムを視察することはなかったが、2012年11月の中国共産党第18期中央委員会第1回会議で、胡錦涛の後を継いで中国共産党総書記に選出され、2013年3月の第12期全国人民代表大会第1回会議で国家主席に就任した習近平は、2018年4月24日午後に三峡ダムを視察した。

当日は、中国政府「交通部」部長で李鵬の息子である李小鵬が習近平の視察に随行したが、国家指導部による三峡視察は1997年11月の「長江の流れを遮断する式典」に江沢民と李鵬が参加して以来で実に21年振りであった。

2019年7月22日、三峡ダム建設計画を主導した元国務院総理の李鵬が90歳で逝去した。李鵬は1989年6月4日の天安門事件で学生弾圧に指導的役割を果たしたことで知られるが、三峡ダム建設に使う設備・資材の購入を通じて外国企業から巨額の賄賂を受けて私腹を肥やしたと言われている。

 

その李鵬の息子を随行させて習近平が三峡ダムを視察したことに怒りを募らせた天帝が、三峡の自然を破壊した張本人である李鵬の死を見極めた上で開始した報復が、今年の長江流域において、6月2日以来、本稿執筆時点の7月19日で連続47日間降り続く豪雨であるように思えるのである。豪雨はいつまで降り続けるのだろうか。