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コロナを口実にまた湧いてきた、ぜんぜん新しくない思考様式

愚行を連鎖させる「健康主義」の正体

目的は「隠蔽」しかない

もう誰も覚えていないかもしれないが、5月4日にニュースになった「新しい生活様式」は、多くの意味で新型コロナウイルスに対する日本の反応を代表している。

根本的な解決はどこにもないことを隠蔽するために、「できること」をむやみに強調する。それも最新の機械とか薬にできることはほとんどないので、何百年も前からある乱暴な手段に訴えるしかないのだが、「新しい」という空疎な修辞によってそれも隠蔽する。

当然ながら、そんな乱暴で効果の小さい策はないほうがマシだという可能性も隠蔽する。

複数の原理が対立していることを隠蔽するために、ただひたすら一方的な見解を大声で繰り返し、ほかの意見は徹底して無視する。政治家とか学者の無力さを隠蔽するために、一般人、知識のない人、同調しない人に責任を押し付ける。

大きな問題が未解決のまま動いていないことを隠蔽するために、小さな変化を誇張し、論点をすりかえる。話題を作るためにどこまでも細かい粗探しに熱中し、決して達成されない完璧を目標に据える。

何もかもが隠蔽であり、空騒ぎだ。「新しい生活様式」がひと目で人をうんざりさせてしまうのは、そういう問題を端的に提示しているからだろう。

「新しい生活様式」の問題はつまり、医学における官僚主義の問題だ。それは新型コロナウイルスによってはじめて生まれたのではなく、昔からあって放置されてきたものが誰の目にもあからさまに見えるようになったにすぎない。

筆者が最近翻訳したペトル・シュクラバーネクの著書『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』を参照しつつ整理しよう。

 

忘れられた論客、シュクラバーネク

現代医学が個人を縛る方向に向かいやすく、本来の目的だったはずの個人の幸せを忘れてしまいやすいという問題は、古くから指摘されている。

有名なところではフランスの哲学者ミシェル・フーコーの著作は一貫して同様の問題を見据えているし、イヴァン・イリッチが1975年に書いた『脱病院化社会』もいまだによく引用される。筆者はシュクラバーネクもそこに加えたいと考えている。

シュクラバーネクの主著はいくつかの言語に翻訳され、1990年代を中心に専門誌でもたびたび引用されたのだが、日本ではまったくと言っていいほど知られていない。

シュクラバーネクは現在のチェコで生まれ、ソ連の侵攻によりアイルランドに亡命した。医師でもあり、ジェイムズ・ジョイスのアマチュア研究者でもあった。

半ばは強いられて、半ばは自ら選んで、シュクラバーネクは「よそ者」としての人生を送った。よそ者だったからこそ見えた、イギリス・アメリカ中心の医学のゆがみを、シュクラバーネクは1994年の死の数日前に完成した遺作に詰め込んだ。

題名の「健康禍」は訳者がつけた造語で、言うまでもなくコロナ禍に引っ掛けたものだ。現代の「健康」という概念そのものが、新型コロナウイルスと同じようなありかたで、多くの人に禍いをもたらしている。

シュクラバーネクは1994年からすでに2020年を予見していたかのようだ。どういうことか。