父の急逝後に突然認知症を発症した母の登志子、そしてしっかり者と思っていたのに、実は認知症になりつつあり、母の実家をゴミ屋敷にしていた伯母の恵子。伯母は独身で、編集者の上松容子さんは従妹と協力して2人のケアをすることになった。

当初同居を反対していた義母も最後とは折れて母とも同居になり、上松さん、義母と母、そして夫と娘との生活が始まる。転んだ後に入院していた伯母の退院後の居場所も探しながら、仕事と育児に加え、自宅での母の「見守り的介護」が続いた。使用済みトイレットペーパーを流さずにトイレの床に積み上げてしまったり、他人の歯ブラシを使ってしまったり、同居して見守る介護の大変さを思い知ることとなった。それでも頑張っている中、母が娘である自分を忘れてしまったことを知って衝撃を受ける。思わず「さようなら」と母に告げ、自分の中で忘れられた悲しみを抱えながら介護をするしかないと感じたのだ。

今回は、そんな介護を一緒に受け入れてきた上松さんのひとり娘についてお伝えする。おばあちゃんの「登志子さん」が大好きだった娘に対して、認知症となった上松さんの母がとった行動は……。名前だけ変えたドキュメント連載。

上松容子さん連載「介護とゴミ屋敷」今までの連載はこちら

同居する祖母はふたりとも認知症

母、登志子にさようならと言ってから、怒りも悲しみも雲散霧消してしまった。

私は「血」で母の状態を判断しようとしていた。私が母を世話するモチベーションの元は、実は情ではなかった。自分と血の繋がったものが、このような状態であってほしくなかった。それだけだったのだ。なんと薄情な私だったことか。

私自身はスッキリしたが、小学生だった私の娘は二人の認知症老人に振り回され、混乱の極みにあった。

母が以前、風呂場で浮いていたときに娘があわてて救ったという「事件」があった(注1)。これは、娘のトラウマになっていた。娘は祖母である私の母の「登志子さん」が大好きだった。幼い頃から一緒に絵を描いたり、歌を歌ったり、お話を読んだり、ありとあらゆる「子どもが喜ぶこと」を母がしてくれたからだった。大好きな登志子さんに何かあってはいけない。急に死んじゃったらどうしよう。母が風呂に入ったときには、大丈夫だろうかといつも気にしていた。熱めの風呂や、肩まで浸かる全身浴は、高齢者の心臓に負担がかかるといわれているが、そういった情報も耳にして心配した。

娘が9歳のときにようやく義母の許可が下り、母との同居が始まった。そして同居が始まってすぐのときに、母が風呂から出られなくなってぷかりと浮いていたのだ。娘が気付き、私が湯舟から母を救出したのだった Photo by iStock