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五木寛之氏が「ガラクタこそ、捨てないほうがいい」と断言する理由

ミニマリストが見落としているもの
第二波の脅威がくすぶる新型コロナウィルス。未曽有の時代に、私たちはどう生きればよいのか。『大河の一滴』がベストセラーになるなど、国民的作家の発言にいま注目が集まっている。そんななか上梓された新刊『こころの相続』では、「相続とはお金や土地ではない」とまったく新しい考えを提示する。人生の後半戦、「下山期」にさしかかり、やってはいけないこととは何か? ささやかだが大事な回想のコツを教示する。

回想は「下山期」にこそ

「こころの相続」が、個人のくせやマナーから、文化、伝統、国民性にまでつながることを前回記事前々回記事で述べてきました。では、どうやって次の世代に相続していけばよいか。少し具体的に、相続の作法について考えてみましょう。

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そもそも私が、両親からの相続について考えるようになったのは、八十歳を過ぎてからのことでした。遅きに失した感はありますが、それも、自分が人生の下山期を意識する時期が遅かったからだと考えています。人は人生の後半、すなわち下山期を迎えて初めて、過去を振り返るようになるからです。

二千年以上も前の古代中国で唱えられた「陰陽五行説」によれば、人生は四つの時期に分かれているといいます。

「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」

玄冬を最初にもってくる思想もありますが、私はやはり最後においたほうがしっくりきます。

青春と朱夏の時期は、成長の時期であり、人生という山を登って行く時期です。この時期にある人は、頂上を目指してわき目も振らずに登っていきます。ときどき休むことはあったとしても、視線は頂上の一点をみつめていることでしょう。後ろを振り返る余裕もありません。

やがて下山の時期を迎えるときがやってきます。その時期が「白秋」であり、「玄冬」です。しかし、下山するのは、力が衰えたからではない。私は、この時期を「成熟期」と考えています。

 

登山を経験した方ならばご存じと思いますが、頂上で一服して下山するとき、私たちは、登った山を振り返ってよくぞ登ったものだと満足感にひたったり、遠くを眺めては町があり、谷があり、海も見える中で、心に景色をとどめたりしながら、ふもとを目指します。

人生もそれと同じです。後半を迎えて下山するときに、初めて私たちは、来し方行く末に思いを致す余裕が生まれるのです。自分の人生を振り返り、父や母のこと、家のこと、先輩諸氏のことを思い出して、彼らから相続した多くのものに気づくことになる。この時期を「成熟期」と呼ばずして何と呼べばいいか。そういう意味で、人生の下山期こそ、「回想による相続」の適期なのです。