五木寛之氏の警告「悲惨な戦争の記憶こそ『相続』しないといけない」

伝えきれない話がまだまだある
五木 寛之 プロフィール

たとえば、明治二十年代の中国に対する日本民衆の侮蔑感、反感のすさまじさを、いまの私たちは想像することができない。また日露戦争前の、ロシア討つべし、という国民の対露感情の異常な盛り上りも理解できません。

私が、おぼろげに記憶している昭和十二年の南京陥落のときの、国民の熱狂ぶりを伝える昭和史の本はほとんどありません。リオのカーニバルどころではない、狂乱の祭典だったのです。当時、津々浦々でくりひろげられていた時局講演会では、どこも入場者があふれる盛況でした。

戦争がもたらした悲惨な現実

その一方で日清戦争と日露戦争の谷間の時期、全国農村を席巻した仏教革新運動の嵐について語る書物はほとんどありません。戦争待望の熱気と同時に、苦悩する魂の救いを求めて、『歎異抄講話』が空前の国民的ベストセラーになった時代があったのです。

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また、戦争と言えば、それがどう始まり、どう展開したかなど、「大局」ばかりが話題になります。一人ひとりの兵士のことなど、いままでほとんど伝えられず、遺されもしないできたのです。

戦争の実態や現実を知らないと、戦争とは敵と戦うことである、と思ってしまいがちですが、そうではありません。戦地では、戦闘以前におぞましいほどの悲惨な生活がありました。

栄養失調や病気との戦い、体重の半分もある重装備での行軍で足の皮がむけ、体力も気力も使い果たした兵士の自爆など、自分との戦いで死んでいく兵士も多かったのです。