死が近いのに、死のことを考えなくなった…看取られる父の遺言

父の介護、母の介護、私の老い方(4)
荻野 アンナ プロフィール

地雷野を夢遊病者が歩いている

その後はまず経鼻胃管を試した。鼻から挿入されるチューブに抵抗はなかった。

チューブから流れ込む「ディナー」を珍しそうに眺めていた。結果からいうと逆流を起こし失敗。次に胃ろうという選択肢が出てきた。

同じやり方で「腸ろう」もあると知っている。亡くなった私の彼氏は、食道がん手術の後、しばらくまともに口からの栄養が取れなかった。手術と同時に設置した腸ろうが、その間の栄養補給に活躍してくれた。やがて消化力が回復すると腸ろうは閉じられた。わずかな傷跡しか残らなかった。

胃ろうや腸ろうを使ってまで生命維持をするのは人間の尊厳にそぐわない、という意見もある。しかし彼氏の例もあり、不可逆的な治療ではない、と知っていたから本人さえその気ならお願いするつもりになった。

「どうする?」「やってみるよ」

即答だった。手術は1時間もかからなかった。それでも胃からの逆流による誤嚥が止まらず、いったん胃ろうを止めた。落ち着いたところで再開したら、また逆流で、せっかくの胃ろうはとりあえず持ち腐れと決まった。

その間に父の肺炎は病原菌を変えてパワーアップしており、酸素の供給量も4リットルから6リットルと増えていく。「地雷野を夢遊病者が歩いているようなもの」と言われた。

この時点で入院は2ヵ月を超えている。急性期病院は本来なら10日ほどの入院を目的としている。ベッドを独占して申し訳ない、と医師に謝った。

「大丈夫ですよ。肺炎といっても菌が次々と変わって4回罹っていますから、10日の入院を何回か繰り返したと思えばいいんです」

ありがたや、とそのまま長居を決め込んだ。

もっと自分を構ってほしい母

肺炎が落ち着いてきたところで、栄養の問題が再浮上した。今までは自身の消化管を用いるやり方だったが、残る可能性は消化管を使わず血管に直接高カロリーの点滴を流す「中心静脈ライン」だった。

ものを食べるという選択肢が、実質的に、人生から消える。そのことを説明した上で、本人に確認を取った。

「やってみる」

これまた即答だった。

再び小手術となった。鎖骨の下に百円玉大ほどの「ポート」を埋め込む。点滴はポートから延びたカニューレ(チューブ)を通って静脈に流れ込む。

今度は問題もなく、9月半ば、父は3ヵ月ぶりに浮世の空気を吸った。

父の命が延びるようにと、必死になったのには訳があった。父と母が並んだところを見た知人が、「老いたお雛さま」と称した。付け加えて、一方が逝くと他方もつられて逝くのではないか、と言われたのが胸に刺さっていた。

父の命を永らえることで、間接的に母の長寿をもくろんでいたのである。

そうとは知らない母は、複雑な心境であった。動けない自分の代わりに、娘が夫の世話をしている。それは分かるのだが、育ててもらった覚えのない父に、娘が手間をかけすぎるのが腑に落ちない。もっと自分を構ってほしい、というのが本心だったはずだ。

母の病院巡りには、耳鼻科と眼科が加わっていた。左目の黄斑変性症が発見されたが、すでに治療のできる段階ではなかった。画家にとって命の目が、戻らないダメージを受けていたのだ。

父に起こった心境の変化

10月に入ると、ホームの父に穏やかな秋が訪れていた。

「死が近いのに、死のことを考えなくなったよ」

当たり前の会話が人生の総括になっていく。

「私はあらゆることを試したが、何事にも満足できなかった。私は誇り高過ぎたのだ。それは私に大きな悲しみをもたらした」

「何事もやり過ぎだったのが、今になって中道を見出した。神は良きものである。世界を試練ではなく喜びのために作ってくださった。もうじき私は鳥のように飛び立っていく……」

また別の日には、この世の生は一度だけ、と言う。結局のところ、人生はいいものだ。ただし自分には悪行が多いから煉獄が心配だ。邪悪になるとはどんなものか、知りたかったんだ。とんでもないことだ。しかし自分としては、少し生きて少し苦しむよりは、たくさん生きてたくさん苦しんだほうがいい。

病院であれだけ苦しんだ人間が、「神は笑いそのものだ」と言う。心を「クリスタルのように磨く」と言う。点滴だけでこの世と繋がっている父に、驚くべき心境の変化が起きていた。

関連記事