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誰が先に倒れるか――介護のストレスを、私はサンドバッグにぶつけた

父の介護、母の介護、私の老い方(3)
家族の介護が必要になると、それまで隠れていたさまざまな家庭の問題が明らかになります。入退院を繰り返す父に加えて、体調を崩し始めた母。先の見えない介護は、ストレスの連続だった。生命の際まで来ると、男性は性を命の糧にする――芥川賞作家の荻野アンナさんが自らの体験を語ります。

第1回:セクハラ、心不全、せん妄の父…介護は先の見えないサバイバルです

第2回:介護は一歩間違えると底なし沼。「父を殺して私も死ぬ」と叫んだ夜

「法王様だって車椅子じゃないの」

私がキレた後も、リハビリ病院の父は相変わらずだったが、病院側の対応が変わった。私が居ない時間のために、2人のボランティアをお願いしてくれた。週2回、1時間ずつ、英語でしゃべることができる。

私のほうは、父を説得するための詭弁が冴えてきた。たとえば父は「立ち上がり」が悪い。ベッドや車椅子から立ち上がるのが困難なのだ。父ほどの年齢になると、脳には小さな脳卒中の痕跡が累々と残っている。その後遺症で立ち上がりにくいのを、本人は認めようとしない。

「92年生きてきて、ずっとこうだったよ。それにこの忌々しい日本の椅子が悪い」

車椅子に八つ当たりをする。

「法王様だって車椅子じゃないの」

熱心なカトリックの父には、法王の例が効く。さらに付け加えた。昔は車椅子に乗る年齢に達する人は少なかった。不愉快なモノを使って長生きするか、それとも若死にか。何としても生きたい父は、そこで納得する。

ぐずる父をなだめすかしている間に、今後に向けての話し合いが進められていった。自宅に戻るためには、一時退院を繰り返す。ふらつきはあるものの、歩行が以前より安定してきた父は、つかまるところがあれば歩けなくもない。

病院と自宅の間に「老健」でさらに数ヵ月のリハビリを加える手もあるが、ベッドが空いている保証はない。その場しのぎとして有料老人ホームの体験入所を用いることもできる。

実際、3月から父の週末の帰宅が始まった。その頃の私は、パン屋の呼び込みに思わず立ち止まったことがある。

「認知症に効くメロンパンをどうぞ!」

人気商品メロンパン、を聞き違えていた。

灰色の日々が、一瞬だけピンクに染まったこともある。4月に入って桜の季節となっていた。

病院からほど遠からぬ称名寺は、行ったことはないが、桜の名所と知っていた。

ある晴れた日の午後、発作的に花見をする気になった。外出の許可は取っていない。病院に横付けしているタクシーに、パジャマ姿の父と車椅子を乗せた。10分もかからなかった。

寺の薄墨色を中心に、境内の広々とした池を、桜が取り囲んでいる。音もなく散る花びらの雨を、父と浴びた。極楽浄土に遊ぶ思いがした。父もかつて見せたことのない穏やかな表情をしていた。

 

「本当にお父様を手渡してもよろしいの?」

5月に入り、退院が具体化してきた。同時に、ショートステイ用の老人ホームを紹介してもらった。病院からホームを経て自宅、と言う組み立てである。

出来たばかりの施設で、馬車道を少し外れて、港に近い、閑静な場所にある。入居者3人に対して職員が2人、というのは目が行き届いている。看護師は英語ができる。

館内を見学していて、父の教会仲間の女性から声をかけられた。U子さんは93歳で、こちらの入居者である。

「あなたがお入りになりたいの?」

のっけからアッパーカットをくらった。父のショートスティを考えている、と伝えた。

「社交的な人にはこちらは向きません」 

1人でふらりと散歩も出来ない。人に頼んで時間を決めて、車椅子に乗せられる。

「ご両親で入られるの?」

わが家にはわが家の事情がある。しかし「父だけ」と答える自分が人非人に思えた。U子さんは目を見開いて私の顔を直視した。

「あなた、本当にお父様を手渡してもよろしいの?」

答えられなかった私は、無意識のうちに、父がホームに居続けてくれれば、と願っていたのかもしれない。その夜は鬱で頭が上がらなかった。