7月19日 女性登山隊でマッターホルン北壁を登攀(1967年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1967年の今日、今井通子(1942-)、若山美子(1940-1973)ら日本人女性4人が、アルプス三大北壁の一つであるマッターホルン北壁の登攀(とうはん)に成功しました。女性のみからなる登山隊でのアルプス三大北壁登攀は、史上初のことでした。

マッターホルンの山頂にはスイスとイタリアの国境が通っている Photo by Getty Images

登攀とは、岩壁をよじ登って進む登山の一種で、クライミングとほぼ同じ意味の言葉です。通常の登山以上に体力や筋力が必要であり、一歩間違えると真っ逆さまに落ちてしまいます。今は日本でも多くのクライミング施設がありますが、彼女たちの活躍以前は、女性がクライミングをするなんてありえないという時代でした。

今井通子は眼科医の両親のもとに生まれ、さまざまなことを体験させる教育方針のもとに育ち、中学校の頃から登山に興味を持つようになります。東京女子医大に入学すると、山岳部に入部し積極的に活動しました。

一方の若山美子は、幼少期にソ連侵攻を、高校時代には父の会社の倒産を経験していました。そのため進学を諦めて就職した会社の山岳部で、登山に出会います。後に彫刻作品も残すほどの手先の器用さも手伝い、あっという間に才能を開花させました。

2人は、1964年に発足した日本エキスパート・クライマーズ・クラブ(Japan Expert Climbers Club:JECC)の会員に加わって出会い、訓練を通じて意気投合しました。そして1966年、今井が若山と2人の女性隊員を誘致して「東京女子医科大学山岳部欧州アルプス遠征隊」を結成、ヨーロッパ遠征を敢行します。今井24歳、若山26歳のときの出来事でした。

 

今井の両親は彼女を医者にさせたがっており、命の危険すらある遠征に猛反対します。しかし、女性初の快挙を成し遂げたいという2人の思いは、揺らぐことはありませんでした。そして1967年7月19日に、2人で先頭を交代しながら40時間以上かけて女性のみのパーティでは初となるアルプス三大北壁の登攀を達成したのです。

その後、今井通子はアイガーとグランドジョラスの北壁登攀にも成功し、アルプス三大北壁を完全征服します。アイガー登攀における彼女のルートは当時は開拓されていなかったものであり、今もジャパンルートと呼ばれています。グランドジョラスの頂上では、同じく登山家の高橋和之(1943-)と結婚式を挙げて話題になりました。

ふもとには彩りもあるグランドジョラスだが、頂上で結婚式をあげるなど、普通できそうにない Photo by Getty Images

一方の若山美子は、マッターホルンを最後に岩壁登攀から遠ざかります。有名になったことによる心身の疲れが、その原因だとも言われています。そして、1973年に新婚旅行をかねたマッターホルン登頂で夫とともに滑落する悲劇的な死を迎えました。

JECCの中でも天才と称された若山美子の事故は、自然の厳しさ、山の怖さをを私たちに思い知らせてくれます。皆さんも登山の際には十二分に準備をして、注意を怠ることがないようにしましょう。

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