セクハラ、心不全、せん妄の父…介護は先の見えないサバイバルです

父の介護、母の介護、私の老い方(1)
荻野 アンナ プロフィール

死の瀬戸際でも相変わらず…

父の「躁」は人間関係のみに収まるものではなかった。トイレの帰り、先端を三角に折ったペーパーの破片を振りかざして見せる。

「日本人はなんて礼儀正しいんだ。使った後のペーパーが三角に折ってあるよ」

ちょうどそういうやり方が定着しつつあった頃である。ペーパーを周りに見せて歩く父には辟易した。

病室の壁はアートスペースに化けていた。ある日は、食事に出たゆで卵の殻を、セロテープで紙に貼ったものを壁にかけている。紙には「コロンブスの卵」と書いてある。

コロンブスが、ゆで卵を立てて見せるよう言われ、殻を少し削ってやって見せた故事を、なぜか思い出したらしい。「アート」は日々増殖し、やがて退院の日が来た。すべて持ってかえるつもりの父を、どうやってごまかしたのか、記憶にない。

帰宅してからも、夜中に家中の皿を床に並べてみたりと、意味不明な行動はしばらく続いた。

翌年の春、父は再び命の瀬戸際を体験する。その頃の私は実家と彼の家と、半々ぐらいで行き来していた。彼の家に朝、母から電話が入った。父の様子がおかしい。前の晩、腹痛を訴えるので胃の薬を飲ませたところ、朝になるとほとんど意識がない。

慌てて救急車を呼びながら実家まで駆けて帰った。ただでさえ白い肌がロウのように透き通っている。救急車に同乗するのは、何回目だったか。母は母で、血圧の乱高下で倒れたりと、救急車にはお世話になっている。ゴツゴツ揺れて、病人でなくとも乗り心地は良くない。

搬送先の病院で、父を降ろした後の隊員が小声を交わしている。

「あれはもう、助からないな」

その時、父が唇をわななかせた。父の最期の言葉になるかもしれない、と耳を寄せた。

「ビ、ビューティフル」

指さすほうには、若い看護師が……。

こういう人間は無事、死神から返送されてくる。86歳で再び得難い命をもらい、90歳までを平穏に過ごした、と言いたいところだが、次の破局への準備は着々と進んでいた。

余命半年と宣告された彼氏

父は飲む、打つ、買う、の「打つ」だけはやらなかった。老いてからの趣味は読書、散歩、そして酒。視力が落ち、足腰が衰えてみると、酒が残った。朝はビールの500ml缶。昼間からラムやウィスキーは大の得意で、どろりと濁った謎のカクテルをよく飲んでいた。

うららかな春の日であったのを思い出す。これから出勤する彼氏と私が、実家へ寄ったのは、その日の夕食を届けるためだったのか。着いたら大変なことになっていた。

庭で一杯やっていて、転んだ父がそのまま立ち上がれない。身長は165センチだが骨太の父は、彼と私、二人掛かりでようやく持ち上げることが出来た。その間、尿の臭いが強烈だった。

彼氏は勤務先へ。私は大学に電話を入れて会議を休むことにし、父を病院へ運んだ。転んだ際に打った頭を検査したが問題はなかった。

今、思い出して胸が痛くなるのは、庭先で転んだ父を、助けてくれた彼氏のことだ。あの頃は、すでに食道がんに侵されていたのだろうか。彼が宣告を受けたのは、2004年の春だった。なかなか治らない風邪に、近所の医院へ行ったらその場で胃カメラ、そして告知の流れとなった。

余命半年のはずが、二人三脚で1年2ヵ月を得て、2005年の6月に彼は旅立った。その同じ年の秋、またしても父が倒れる。悲しんでいる暇がない、という点だけは父に感謝をしている。

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