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セクハラ、心不全、せん妄の父…介護は先の見えないサバイバルです

父の介護、母の介護、私の老い方①
家族の介護が必要になると、それまで隠れていたさまざまな家庭の問題が明らかになります。介護という「先の見えないサバイバル」をどう乗りこえればよいのでしょうか。自分の父、母、パートナー、それぞれを看取った芥川賞作家の荻野アンナさんが、まずは父の介護体験から振り返ります。

60歳を過ぎて天涯孤独

介護は人生を教えてくれる。家族が老いを迎えた家庭は、そこに至るまでの矛盾、愛憎、金の問題が待ったなしで噴出する。

そういう私も、人生後半の20年近くは、看病と闘病と介護の連続だった。看病は年齢の順かと思っていたら、父が一段落した次が、パートナーの食道がんだった。55歳の若さのパートナーを送ってから父に戻り、母も参戦し、その母が旅立ったのが2015年。以来の数年で、10キロ近く太った。

家族全員いっぺんに倒れると、看る側は手の施しようがない。私の場合は幸い、Aが入院ならBとCが平穏、という例が多かったので、何とか生き延びることができた。生き延びるとは大げさな、と思われるかもしれないが、介護は先の見えないサバイバルなのである。

サバイバルから解放され、60歳を過ぎて天涯孤独となった。40歳からの介護うつは、介護が済んだらただのうつになり、薬を変えたとたん、太り出した。

家庭内離婚状態だった両親

わが家は、平均的な日本の家庭ではない。アメリカとフランスの国籍を持ち、日本在住60年で日本語のできない父。船乗りの父が神戸でナンパした画家の母。仕事柄留守の多い父だが、在宅でも家庭内離婚状態だった。

その父が60代半ばで退職して、それなりに平和な日々が流れた。

70代で前立腺手術を受けることになって、慌てたのは私である。医師の説明を英訳し、手術のための合意書にサインをしてもらわねばならない。自慢ではないが、こう見えてバイリンガルではない。中学では他のみんなと一緒にABCから始めた。

後日、母親に聞いてみた。

「私がこの顔で、英語ができないと困るという発想は無かったの?」

無かったそうである。

その後のわが家を揺るがせたのは健康ではなく私の男性問題だった。1991年には芥川賞を受賞するが、受賞作のモデルでもある私の彼氏を、うちの母親は受け入れることが出来なかった。母娘の壮絶なバトルを傍観していた父は、「お前たちはそっくりだ」とうそぶいていたが。

実家と、実家から歩いて数分の彼氏の家が以後の私の生活の場になる。

民主主義的セクハラ

2000年、85歳の父は腸の悪性リンパ腫を患う。手術は横浜の病院で成功したが、抗がん剤治療のために当時の板橋老人医療センターに入院することになった。横浜と板橋の往復には顎が出たが、その頃の母はすでに脊椎すべり症で腰が二つに折れている。

「すべり症でひとつだけいいことがあったね。お父さんの看護、できないもんね」

「ホンマや」

老人病院の父は絶好調だった。化学療法の唯一の副作用が「躁状態」というのは珍しい。彼の階には29人の看護師が居て、本人はハーレム気分だった。

見舞いに来てくれた私の彼氏が、つくづく感心していた。父は特定の美女だけではなく、こまめにあらゆる人に声をかけている。そのためセクハラにはならず、全員から愛される。

言われてみると、父は相手の特徴をよく摑んで褒めている。

「ホクロは英語ではビューティー・マークというんだよ。魅力のしるしなんだ」

言われた彼女が照れている隙に、その手をとってチュッとする。

「日本人が、外国人はキスをする、と思っているのを、悪用しているでしょ」

聞いてみたことがある。

「確かにそうだね。でも腕より先には触らないようにしているから」

勝手なルールを振りかざして平然としていた。血液科の担当の女医、といっても60代だが、父にとっては20歳も若い。彼女とは会うたびに大げさなハグをしていた。

実は父の民主主義的セクハラにもひとつの例外が存在した。力士体形のその人には一切余計な声をかけず、キスもしない。

「失礼じゃないの」

人がいないのを見計らって注意しておいた。その後までは分からない。