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まだ戦争は終わっていない…日本人犠牲者「遺骨取り違え事件」の深層

ありえない失態・隠蔽はなぜ起きたのか

今年、各メディアは「戦後75年」というフレーズをしばしば使う。一般に戦争は75年前の夏に終わったと思われている。しかし、筆者の見方は違う。

確かに戦闘は終わった。しかし今も戦争の被害に苦しんでいる人はたくさんいる。国が後始末をしていない補償問題もたくさんある。広義の戦争が終わっていないのだ。

今回は戦没者遺骨の収容事業で、厚生労働省が外国人の遺骨を日本人のそれと間違えて掘り起こして焼き、日本に持ち帰ってしまった事件をもとに「未完の戦争」の実相を報告したい。

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取り返しのつかない失態

「よくも、こんなずさんな収容を続けたものだ……」。その報告書を読みながら、筆者はそう思った。日本人かどうかは後回し。遺骨の数が増えればそれでいい、ということか。

ロシア・シベリアから「日本人」として持ち帰った遺骨の多くが、実は外国人のものであったことが昨年、明らかになった。しかも東京・千鳥ケ淵の戦没者墓苑に収められてしまっていた。同墓苑は多くの遺族が訪れ、戦争で亡くなった故人を悼む場所だ。取り返しのつかない失態である。なぜ、こんなことが起きてしまったのか。

1945年夏、ソ連は日本の植民地で、日本人が多数移民していた満洲に国境を越えて攻め込んだ。軍人や民間人およそ60万人を拉致し、ソ連領内やモンゴルに移送、強制労働をさせた。極寒と飢え、重労働により6万人が亡くなったとされる。この「シベリア抑留」は最長11年に及んだ。

日本は1952年に独立を回復した後、南方などでの戦没者遺骨収容を始めた。しかし長い冷戦下、ソ連では収容どころか本格的な調査すらできなかった。それが可能になったのは冷戦が終わり、「戦後」46年が過ぎた1991年からである。

以来、2018年度末までに2万190人分の遺骨が収容されている。所管は厚生労働省だ。この実績は、他の地域に比べると格段にいい。たとえば第二次世界大戦末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)では2万人以上の日本人が戦死している。離島とはいえ東京都の一部である。1968年にアメリカから返還されて半世紀以上がたつが、収容された遺骨は半分の1万人分ほどだ。