カトリック教会の隠蔽体質

プレナ事件でバルバラン枢機卿がプレナを警察に通報しなかったばかりか、聖職さえもはく奪しなかったように、先述した映画やドキュメンタリーで繰り返し語られるのは、カトリック教会の驚くべき隠蔽体質だ。どの作品でも、虐待が発覚する度に虐待司祭は違う教区へ転属され、そこで新たな性暴力をふるう。ときには、彼らは教会が経営する精神病院のような施設で治療を受けるが、また聖職に戻り再び罪を重ねていく。

『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』より

つい数十年前まで、アメリカやヨーロッパの人々は地域に深く根差した生活をしており、大人たちは教会を媒介にビジネスや人との関わりをもち、子供たちは教会が運営する学校や病院へ通っていた。グローバリゼーションが進み、多様な価値観が受け入れられるようになるまで、教会は地域の共同体そのものであり、彼らにとって司祭は神のような存在だった。たとえ自分の子供たちが虐待を受けても、カトリック教会が虐待司祭を教会内で裁き、排除してくれるものだと信じていたのだ。

そのようにして1970年代から50年もの間、虐待はうやむやにされ、虐待司祭たちは決して糾弾されることなく、性的虐待は連鎖していった。こういった事態は世界各地で起こっていたが、アメリカで2002年に初めて大きな反発が起こる。ボストン・グローブ紙の記者が、ボストン大司教区の司祭ら90名以上が過去40年間で数百名の被害者から訴えられていたことを明示する教会記録を入手し、カトリック教会の隠蔽体質を大々的に報じたのだ。

この様子は映画『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)で詳しく描かれているが、その結果、カトリック教徒の多いボストンにおいても信者と教会の間に溝が出来ていき、スキャンダルはアメリカから全世界へと波及していった。

こうした動きを受け、カトリック教会は2011年と2012年の2年間で、聖職者は384人を児童性的虐待で解任処分しているが(※6)、国連の子どもの権利委員会は2014年に「必要な対策を取っていない」として、ローマ法王庁を非難している(※7)。