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メチャクチャな政治家に人生を壊される「役人という生き物」の悲しみ

こうして「忖度の構造」は維持される

「マネジメント能力」がない政治家も多数

サラリーマンたるもの「上司は選べない」とよく言われる。なかでも、「究極の上司」といえる経営トップは、自分がその組織を辞めないかぎり選べない。

もし、あなたが勤める会社が、クセの強い創業者やその一族が経営陣を固めるオーナー企業だったらどうだろう。彼らの思い付きや趣味、それこそ我儘までが幅を利かせ、経営方針のみならず、各種の社内ルールや人事配置などのさまざまな局面で、社内に「理不尽」がはびこることになる。

そうした事情は、行政組織でもさほど変わらない。

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国、地方自治体のどちらも、行政組織のトップとして君臨するのは、ごく一部の例外を除き政治家である。地方自治体の首長なら住民による選挙の結果だし、国の省庁の大臣は総理大臣や与党(派閥)の思惑で人選される。

自由な言論と選挙によって、国民(住民)の代表を国や地方自治体のトップに選ぶという民主主義の仕組みは確かに大切である。しかしそこに内在する重大な欠陥については、誰もが薄々気づきながら目をつぶっている。着任する人物が、組織を率いる適格者であるとは限らないことだ。

特に、若い頃から政治家の道を突き進んだ人の場合、「親分」たる政治家の秘書以外、他人と協働したり組織に属したりした経験が全くないことも多い。「ザ・個人事業主」ともいえる芸能タレントやスポーツ選手などから政治に転じた人も同様だ。

知名度があり、有権者を引き付ける演説やアピールは上手でも、多くの部下を率いて実直に仕事で成果を上げた経験がない人が、いきなり地方の首長になり、巨大な行政組織をマネジメントできるようになるかといえば、大いに疑問だ。閣僚についても、国会議員としての当選を重ねる中で党運営の経験を積んだとしても、いきなり巨大な省庁のトップに就いて、立派にグリップできる人ばかりではない。