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黒人女性と結婚した私が「ジョージ・フロイド事件」から考えたこと

日本人として、このニュースに対峙する

コロナ禍における青天の霹靂

コロナ騒動でもっとも恐ろしかったもの。それは、世界が「タコツボ化」してゆくという実感である。

国境が閉鎖され、都市がロックダウンされ、外出禁止令がだされ、隣人や通行人に疑心暗鬼となる……日々のニュースで流される大量の情報をまえに、もはや世界から「多様性」「他者理解」などという言葉は消滅してしまうのではないか、それまで肯定的な評価を与えられてきたこれらの言葉が、ウイルス感染を理由に絶対的な負の評価を帯び、抹殺されてしまうのではないか……そんな不安に押しつぶされながら自宅で悶々としていたとき、そのニュースは突然やってきた。

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がっしりとした白人警官が、ドヤ顔で黒人男性の首を膝で押さえつける映像。つづいて、道路を埋めつくす抗議デモの人々。

ジョージ・フロイド事件は青天の霹靂だった。病気の危険よりも、外出を制限する政府の命令よりも、もっと大切なものがあるということを、デモ行進する人々の表情が主張していた。

その後、世界各地に人種差別反対の運動がいっきに拡がっていった。

 

日本人としてニュースに対峙する

私は日本人。アフリカの音楽や文学を研究する文化人類学者で、妻はアフリカ人、娘がひとりいる。

25年近くつれ添っている黒人の妻と、今年成人式を迎えたハーフの娘のためにも、ジョージ・フロイド事件に端を発する今回のムーブメントが、なんらかのかたちでポジティブな成果をもたらしてくれることを心から願うものである。

この大前提を読者と共有したうえで、文化人類学者としてアフリカ社会と深くかかわり、黒人の妻とその家族と密な関係を保ちながら、日本に居を構えて日常生活を営んでいる者として、今回の一連のニュースを見て気になったことを指摘させてもらおうと思う。

それはもしかしたら「正統的」な正義感や人権感覚とは相いれないものと感じられるかもしれないが、長きにわたって黒人とつきあってきた日本人の一見解として、耳を傾けていただきたい。