年々、認知症が悪化していった祖母

ぼくが実家を離れ、数年が経った頃、祖母の認知症がひどくなった。久しぶりに顔を見せに帰っても、ぼくのことをうまく認識できない。

「おばあちゃん、久しぶりだね」

やさしく声をかけても、祖母はぼんやりぼくを見つめるだけ。しばらくそうしていたかと思うと、だいぶ前に亡くなった祖母の弟の名前を呼び、「よく帰ってきたな」と泣きながら喜ぶ。そう、祖母はぼくと自分の弟とをごっちゃにしていたのだ。

孫の顔すらわからなくなってしまうなんて……。最初は落胆することも多かった。

話しかけても反応しない。口を開いたかと思えば、昔話を繰り返す。挙げ句、「ここはどこなんだ? 早く家に帰してくれ」と騒ぎ立てる。

そんな祖母に対し、苛立つこともあった。

「孫の大だよ! なんでわかんねぇんだよ!」

思わず大きい声をあげてしまう。その瞬間、祖母は我に返ったように「大か、おかえりなぁ」と顔をほころばせてみせるが、数分後には、また同じことを繰り返す。

次第に、祖母とちゃんと会話をするのはもう無理なのかもしれない、と思うようになっていった。

泣き虫だったぼくをいつも慰めてくれた祖母。明るく元気で、近所の人気者だった祖母。食いしん坊で、大きな声で笑う祖母。ぼくの想い出のなかにいる祖母は、もうどこにもいなかった。

目の前にいるのは、孫の顔どころか自分のことすらわからなくなってしまった、ひとりの老女だった。

そんな祖母のことを認めるのが哀しくて、ぼくの足はますます実家から遠ざかってしまった。

孫の自分のこともわからなくなっている祖母を見て、衝撃を受けた Photo by iStock

そうして数年が経ち、ぼくが30歳を過ぎた頃、一本の連絡が入った。伯母からだった。

「大ちゃん、おばあちゃんとお話ししたい?」

伯母がなにを言おうとしているのか、すぐに理解できた。祖母が危ないから、話ができるうちに帰ってこい。そういうことだった。

当時、まだ会社員をしていたぼくは、急いで荷物をまとめ、祖母のもとへと向かった。まともな会話なんてもはやできるわけがない。けれど、最後にたったひとことでも言葉を交わせれば、と思ったのだ。

でも、その微かな希望すら無駄なことだったと思い知らされた。

実家に到着したぼくを待っていたのは、介護用ベッドに横たわり、自力では動くことすらできない祖母の姿だった。