Photo by iStock

老老介護の末、コロナ禍のなかで妻を喪った財津一郎さんの告白

「ママと生きられて、幸せだったよ」

どんなに仲睦まじく連れ添った夫婦でも、相手に介護が必要になったとき、最後まで自力でやり遂げることはなかなか難しい。だが、『タケモトピアノ』のCMでおなじみのこの人は、持てる力と時間のすべてを妻に捧げていた。60年におよぶ日々の、恩返しをするために―。発売中の『週刊現代』で、財津さん本人が語っている。

料理も掃除もすべて

「ママの遺品を整理しているときが、一番こたえます。もっとしてあげられたんじゃないか、もっと優しくできたんじゃないか……。そうやって考えだすとキリがない。

人間には寿命というものがあるから、ずっと前から覚悟は決めていた。それでも、たまらなく寂しくなる。こればかりは、どうしようもありません」

コメディアン・財津一郎さん(86歳)の姿を、テレビ番組で見かけなくなって久しい。

財津さんはここ10年ほど、テレビの仕事のオファーを一切断っている。そして、近年は生活のほとんどの時間を、「ママ」と呼ぶ4歳年上の妻・ミドリさん(享年89)の介護に割いてきた。

だが、今年の2月、コロナ禍のさなかで、最愛のミドリさんはひっそりとこの世を去っていた。

 

老老介護の日々、そして、ミドリさんを見送るまでを財津さんが振り返る―。

「もともと身体が弱っていたママの状態が急激に悪化したのは、昨年の秋でした。廊下で『ドーン』と音がして、慌てて見に行くと、床の上でママが倒れていた。

スリッパを履いていたから、滑ってしまったんでしょう。幸い、頭は打たなかったけれど、とっさについた右手首を骨折してしまった」

以来、ミドリさんは躓きそうな場所を怖がり、家から出ることすら嫌がるようになった。

「ママが、なかなか外に出てくれなくなってしまった。『一緒に夕日を見ようよ』と誘っても、『窓から見られるから大丈夫よ』と。

終いには、家の中で歩くことすらおぼつかなくなった。足の悪い僕が、自分のために借りた車椅子を、代わりにママが使うようになりました」

この頃から、家事のすべてを財津さんが一人で担うようになった。
毎朝4時半に起きて、掃除をする。家の前を箒で掃き、ゴミ出しを済ませてから、朝食を作る。

「それまでの人生、包丁すらまともに握ったことがなかったから、大変だった。何より、台所で1時間くらい立ちっぱなしだから、膝にも来るし、熱気で立ちくらみもする。

しんどかったけれど、むしろ『ママはこんなことを何十年も黙々と続けてきたのか』と、ありがたさがますます身に沁みた」

電動カートに乗り、米や野菜の買い出しにも一人で出かけた。足に障害を抱える財津さんにとって、重い荷物を抱えることは何よりもこたえた。

老老介護の場合、万が一、介護する側が怪我をすれば、共倒れになってしまう。本来なら、デイサービスなどに頼ることは、決して恥ずべきことではない。