ところが、21世紀になってインフルエンザのパンデミックの可能性が話題になり始めた頃から、救急医療での集中治療室がパンクしそうになったとき、誰を優先的に治療し、誰を見捨てるべきか、というシビアな問題もトリアージと呼ぶようになってきた。
新型コロナで論議された人工呼吸器トリアージも、戦争や災害のときのトリアージとは少し違って、医療資源の分配問題のことを意味している。
とくに、このことがネットでも話題になったのは、イタリアのベラルデッリ神父が自分用に信徒たちが寄付した人工呼吸器を若者に譲って亡くなったというニュースが3月半ばに流れたときだった。
ベラルデッリ神父は実在の人物で確かに新型コロナによって亡くなっているが、人工呼吸器を譲ったという話はフェイクニュースだった。
というオチなのだが、高齢者や病人が健康な若者に生命維持治療の手段を譲るというストーリーは、なんとなく(メロドラマのようで安っぽくはあるが)美談に思えなくもない。
いっぽう、そうした風潮を批判して、日本を含む世界各地で、病者や障害者の団体は、社会的弱者が治療断念を強制される恐れがあるとして、医学的な救命の可能性の高低ではなく、障害や持病の有無だけで生命を選別することへの反対声明を出している。
ただし、ここで注意しておくべきは、これが配分(AさんではなくBさんの治療を優先する)ではなく、再配分(いったんAさんの治療に使うと決まっていたのが、Bさんに優先順位が変わった)の問題であることだ。