立山連峰 photo by iStock

日本人はどうして山を信仰してきたか?「山の宗教」の歴史を読み解く

原始古代から現代まで…山と人の宗教誌
日本各地には「霊山」と呼ばれる、信仰の対象になっている山が数多くあります。そのような信仰は、長い日本の歴史の中で、社会の変動ともかかわりながら変化してきました。そして今、山と人々の関係は決定的に変化しようとしています。
山と人々の信仰との関係を描いた「山と人の宗教誌」である、菊地大樹氏による現代新書の最新刊『日本人と山の宗教』から、その序章を紹介します。
 

立山連峰を目指して

北アルプスに位置する立山連峰。富山平野からも、すっくと屹立する雄姿を望むことができる。それがそのまま、山の名前となった。筆者が友人2人とともにここを訪れたのは、9月上旬にしては珍しいほどのさわやかな好天の日であった。立山には、富山市街から常願寺川沿いに鉄道とバスが整備され、いまでは室堂平(むろどうだいら)まで容易に至ることができる。しかし、かつてひとびとはこの道を、ひたすら歩いて頂上を目指した。

立山連峰 photo by iStock

富山平野の縁辺部が、山間部からスカートのように延びた扇状地の突端と交わるあたりには、かつての岩峅(いわくら)寺(雄山神社前立社壇)が鎮座している。ここで参詣者はまず、みそぎを行って身を清めた。ここからすでに、立山登山は始まっている。周辺にはいまでも旧道や宿坊の跡がみられ、かつての面影を残す。しかしいまでは、登山者の多くは頂上を目指して先を急ぎ、この地を素通りしてゆく。

やがて山間部に入ると、次の重要なポイントは芦峅(あしくら)寺である。ここには富山県の立山博物館もあり、いまでも観光地として知られている。やはり優雅な庭園を備えた宿坊跡などが公開されており、かつて立山登山のベースキャンプとして栄えたことを物語る。しかし、登山鉄道はさらに奥まで続き、ここで途中下車して信仰登山時代を偲ぼうという人も、いまはそれほど多くない。

鉄道の終点からバスを乗り継いで室堂ターミナルに着くと、高原のむこうには立山三山が朗と聳えていた。よく整備されたトレッキングコースに導かれながら、少しずつ沢へと向かって下ってゆくと、みくりが池に着く。『日本百名山』の中で深田久弥は、この池について、

昔、ある僧が人の留めるのもきかずこの池で泳いだ。最初は懐剣(かいけん)を口にくわえていたので無事だったが、池を見くびってそれ無しで泳いだところ、1巡り、2巡り、3巡り目に、池の中心深く沈んだまま遂に現れなかった。三繰ケ池(みくりがいけ)という名はそこから出たという。

というエピソードを紹介している。しかし本来は、べつの由来があろう。たとえば、「御厨(みくり)」といえば神仏への供物を調理する施設であり、これに付属する池として水を供給したものかもしれない。穢れを落とし身を清めるための行水を意味する「垢離(こり)」に美称の「み(御)」がついて「みこり」となり、転訛していまの呼称となったというのも一案だ。

ともあれ、前近代においてここ室堂の地は、心地よくロマンチックな高原などではなく、いよいよ神の山に登るための準備をする、厳粛なベースキャンプの1つであった。

「室堂」という地名もまた、厳しい自然環境の中でひとびとがよるべとした、参籠のための小屋に由来する。ここには現在も、往時の参詣に使用された江戸時代の建物が残り、国の重要文化財に指定されている。現代のわれわれにヨーロッパアルプスを連想させるようなこの景色も、前近代のひとびとには異なる趣きを湛えた風景と映ったことだろう