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これは人喰いヒグマの祟りか!「三毛別事件」知られざる衝撃の後日譚

本当にあった怪奇事件簿②
朝里 樹 プロフィール

1人、また1人と喰い殺されてゆく

そして近代、開拓のため本州から多くの人々が北海道にやってきて、生活を営むようになった。そんな開拓民として苫前村三毛別に暮らした人々を襲ったのが、“悪神”と化したヒグマだった。

この三毛別羆事件を詳細に記録した木村盛武氏の『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(文春文庫)を参考に、そのあらましを追ってみたい。

事件は大正4(1915)年12月9日に始まった。

三毛別の奥地、六線沢には15軒の開拓民の家があり、その家々から男衆が橋桁材の伐採搬出作業のため出払っていた。その間、家の留守を女性と子どもが預かっていた。

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初めに犠牲になったのは太田家に預けられていた子ども、蓮見幹雄だった。さらに家にいたはずの太田マユが見つからず、捜索隊が結成されたが、彼らは捜索の途中でヒグマと遭遇する。

この時、ヒグマは彼らから離れて行ったため、事なきを得たが、ヒグマが出現したすぐ近くのトドマツの根元からマユの遺体が見つかった。それは足と頭の一部がかろうじて残っているだけだったという。

やがて夜になり、ヒグマの犠牲となった幹雄とマユの葬式が太田家で行われた。そして通夜も終わった頃、太田家の家屋の壁を打ち破ってヒグマが侵入。しかし、出席者のひとりが銃を放ったため、ヒグマは逃げた。

だがその直後、ヒグマは太田家から少し離れた明景家を襲った。そこには男性1人に女性2人、そして子どもたちが避難していた。この家は、阿鼻叫喚の巷と化した。