女性は結婚したら
なかなか仕事を続けられない時代

外交官試験に合格した1986年は、1985年に制定された男女雇用機会均等法が施行された年だった。しかしまだ男女の待遇格差、差別などの規定も「努力規定」のみ。禁止規定に改訂されたのは1997年だった。妊娠・出産を理由とした不利益を被らせてはならないという法改正がなされたのは、2006年。それから20年もあとのことだ。

これが示しているのは、雅子さまが外交官となったのは、雇用の男女格差が当然のようにあった時代だったということ。そして「女性は結婚したら仕事をやめるべきだ」「出産したら仕事をやめるべきだ」という意識が、日本中に根強く残っていたということだ。今でこそそう言われたらハラスメントだと認知されるに至ってはいるけれど、認知はされても「産後に望まぬ異動をすることになった」「仕事をやめなければならなかった」という話は現代でもあとを絶たない。雅子さまが外交官になったのは、今から30年以上前だったのだ。どれだけ「実力」を認められていたかということは明らかだろう。それでも、結婚してもその能力を活かすのが当然という空気ではなかった。

1986年10月、外交官となって父と共にスペインのエレナ王女歓迎レセプションに参加したのが当時の浩宮殿下との出会いだった。このときから殿下は雅子さま1988年にはオックスフォードに留学、このときには「お妃候補」としてマスコミに追いかけられ、カメラの前で毅然とした態度を見せる様子はまさにキャリアウーマンそのものだった。

1988年5月、日本料理の会での雅子さま 写真提供/宮内庁
1988年10月オックスフォード大学ベーリオールカレッジ留学時、ご学友と。ここまで追いかけてきた報道陣に向かってきっぱり否定したのだった 写真/宮内庁提供
1988年10月オックスフォード大学ベーリオールカレッジにて 写真/宮内庁提供

1990年には北米二課に配属。順調に夢を叶えていく中で、殿下のまっすぐな愛情を受け、努力のもとに手に入れていた仕事を手離すかどうか、悩みに悩んだことだろう。
最終的に皇室に入ることを決意した雅子さまは、1993年の1月に皇室会議を経て、4月に納采の儀を迎えることとなった。