令和の天皇陛下が126代天皇として皇位継承をしてから1年2ヵ月。天皇皇后両陛下のお人柄は、私たちを魅了してきた。雅子さまについては、漫画家で小説家の折原みとさんが多くの資料を読み、「漫画家が見た雅子妃」という連載でバッシングも含めて詳しく伝えてきた。メディアとしても、国民としても、雅子さまを苦しめてしまったバッシングからも目を背けず、同じようなことを繰り返さないことが大切だと感じさせられる。

振り返ると、雅子さまが女性として真に独立し、自立し、優秀な女性だったからこそ、そして女性がきちんと能力を発揮できるような働き方に時代がまだついていけていなかったからこそ、雅子さまの苦悩を広げてしまった一面もあることがわかる。

そこで、改めてご成婚前の雅子さまの輝くような素顔の写真を見返してみよう。

「ハイスペックすぎるプリンセス」

折原さんの連載第1回では「『ハイスペックすぎるプリンセス』漫画家が震えた、雅子さまの苦悩」と題し、雅子さまが外交官となり、お妃候補となるまでの姿をお伝えした。詳細はそちらの記事に譲るとして、簡単に雅子さまの経歴を辿ってみよう。

週刊女性で漫画連載をすることになり、資料を読みまくっていた折原さんの人気連載。番外編を加えて9回の連載は話題を呼んだ

雅子さま1963年12月9日に外交官小和田恒さん(恒の字は本来は別の人名用漢字の長女として誕生、1歳半でモスクワ、その後スイス・ジュネーブを経て1968年にNYで幼少期を過ごした。1971年に日本に帰国、田園調布雙葉で学生生活を送ったのち、1979年に今度はアメリカ・ボストンへ。高校でも優秀な成績をおさめ、ハーバード大学に進学、ハーバードの卒業時には卒論が優秀賞に選出されている。1986年に帰国して東京大学に学士入学。合格者は100名中わずか3名だった。さらに同年10月には外交官試験に合格。合格者28名中女性は3名だった。

モスクワ時代の雅子さま 写真提供/宮内庁
ハーバード大学1年生のときの雅子さま。大学時代の親友Gigiさんと 写真提供/宮内庁
1986年、外交官試験合格直後の雅子さま。同年10月18日に開催されたスペインエレナ王女の歓迎レセプションで、浩宮殿下と出会った 写真提供/宮内庁

こうして並べるだけで素晴らしすぎるが、女性を取り巻く当時の状況振り返ると、雅子さまのさらに優秀すぎる様子と、のちの苦悩の原因が、浮かび上がってくる。