(c)1997 Studio Ghibli・ND

再上映中の『もののけ姫』を「日本史と中国史」で読み解く

コロナ後も輝く、マイノリティの葛藤劇

中世に託して現代を描く

6月末から、スタジオジブリの旧作の「劇場での再上映」が始まりました。公式なアナウンスには入っていませんが、おそらくはコロナ禍で最大の損害を被った業種である映画館に足を運ぶ体験を、もういちど広く知ってほしいという趣旨もあるのではと思います。

どの作品も懐かしいですが、とりわけこのタイミングで『もののけ姫』が久しぶりにスクリーンに映ることは、私にとってひとしおの感慨をそそります。

 

解説は不要かもしれませんが、『もののけ姫』は1997年公開。宮崎駿監督の「引退作」だとPRされたこともあって、爆発的なヒットとなり、日本映画の興収記録を更新。しかし引退宣言は後に撤回され、以降も新作ごとに「今度こそ最後」と報じられては覆る、いわば宮崎監督が「いつまでも引退できない時代」が今日まで続いています。

もっとも、私がこの作品をとりわけ懐かしく思うのは、また別の個人的な事情によるものです。

2008~2014年にかけて、大学で日本通史を教えていたころ、冬学期の初回は必ず『もののけ姫』を教材にしていました。そのときの講義録は『中国化する日本』(文春文庫)として刊行していますが、この回については字数の関係で割愛したので、入っていません。

ストーリーをざっくり要約すれば、『もののけ姫』は中世の日本を舞台とする、四者四様の「マイノリティ」がぶつかりあう活劇です。

(1)主人公のアシタカは(アイヌのようにも思われる)少数民族の出身で、しかも呪いのために生地を追われてしまう。(2)ヒロインのサン(もののけ姫)は山で狼に育てられた少女で、人間社会を憎悪している。(3)もう一人のヒロインと言えるエボシ御前は、森の中のたたら場(製鉄所)を一種のコミューンにして、女性や病人たちを庇護している。(4)狂言回しにあたる山伏のジコ坊は、正体不明の移動民の一団を率いており、おいしい儲け話を狙っている。