炎上した自民党もNHKも「わかりやすさ至上主義」の罠にハマっている

なぜ「わかりやすさ」に縛られるのか
武田 砂鉄 プロフィール

こうして、政治もメディアも、とにかく「わかりやすさ」を意識しすぎている。自ら動こうとしない顧客が、「わかりやすくないと受け付けませんよ」との態度を譲らなくなった。結果として、今回のように、誤用であろうが、ステレオタイプで描きすぎていようが、素直に受け容れてしまう。なぜか。わかりやすいからである。

どんなことであっても、そんなにすぐに答えが出るわけではない。保留を繰り返しながら考えて、ようやく答えを導き出す。それでも不安なまま差し出す。そこで対話が生まれ、よりよい方法が模索される。

しかし、「わかりやすさ」を優先すると、暴力的なほど、個々人の意見が封じ込まれてしまう。そのほうが、為政者は管理しやすいし、放送局は多くの人に届くと思っている。

 

「わからない」状態を保つ

「すぐにわかる!」「30分でわかる!」「一気にわかる!」の連呼にどう向き合えばいいのか。

「すぐにわかる、必要はあるのだろうか」
「30分でわかる、べきなのだろうか」
「一気にわかる、ってどういう状態なのだろうか」

こうやって、ひとまず疑ってみる必要がある。これを怠ると「わかりやすさ」が暴走する。思考する幅が「わかりやすさ」によって狭められている。社会が萎縮してしまう。納得や共感によって、物事が動いていく昨今、「わからない」状態を保ち、わからないなりに考えてみる、というプロセスを獲得し直すべきである。「そういうことだったのか!」って、本当にそういうことだけだったのかどうかと疑わなければ、個々人がますます大きなものに翻弄されてしまう。この「わかりやすさ」の暴走、私は「罪」だと思っている。