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炎上した自民党もNHKも「わかりやすさ至上主義」の罠にハマっている

なぜ「わかりやすさ」に縛られるのか

カットフルーツのように整えられた情報

「すぐにわかる!」「30分でわかる!」「一気にわかる!」……書店の入り口付近に積み上げられている書籍の共通項は、「とにかく時間は短くて済みます。簡単です。皆さんのお手を煩わせませんので、是非とも、手にとってくれませんでしょうか?」という低姿勢である。少し前に流行ったまま、テレビの人気者として定着している予備校講師の決め台詞は「いつやるか? 今でしょ!」であった。簡単に、そして、速攻で成し遂げることを推奨するメッセージが、そこかしこに溢れている。

この度、『わかりやすさの罪』という本を出したのだが、カバーを折り返したところには、こんな文言を入れてみた。

「次々と玄関先に情報がやってくるから、顧客が偉そうになった。わかりやすさの妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか」

情報化社会って、「自分に不必要な情報をシャットアウトできる社会」でもある。ジッとしていれば、情報が次々とやってくる。「これは、あなたに必要な情報ではないでしょうか?」「以前、調べていらしたことの続報がこちらですが、どうでしょう?」と丁寧に訪問してくるようになった。情報がそのまま丸ごと目の前に差し出されることは少なくなり、あたかもカットフルーツのように、爪楊枝で刺せば即座に美味しく食べられるようにしてある。

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だが、こうやって万事がわかりやすく提供されるようになると、何が抜け落ちているのかに対する注意力が弱まってくる。カットされる前のフルーツの形状は知っていたとしても、「すぐにわかる!」と差し出された情報の全体像って、事細かに示されることは少ない。そもそも物事の全体像なんてものは常に複雑なのに、図式化され、箇条書きにされ、「こういうことなんです!」とシンプルに教え込まれてしまう。